背中には、主役は俺だぜという気構えが漂っていた
連日の深夜撮影で、誰もが疲れている。梅宮が怒るのは当然だが、文太がいなければアフレコは出来ないので、我慢して待つより他なかった。
やっとお出ましとなった主役は、ほんのりどころか明らかに一杯聞し召して、爪楊枝を銜えておいでだ。それでは始めましょうとマイクの前で主役を囲み、テストが始まった(同)
ところが、1回目のテストが終わったあと、文太はミキサー室へ行き、スタッフとなにやら話し合いを始めた。俳優たちは元の椅子に戻り、再開を待った。しばしあり、助監督の声が響いた。今夜は文太の出ていないシーンだけのアフレコにしてほしい、という。
おやおや主役は体調が可笑しくなったか、それとも飲み量が足りないのか? 唖然呆然とする我々を一瞥することもなく、明るいベージュのカシミア・コートを肩にかけた主役は、製作部を従え颯爽と出て行った。(中略)外から流れてくる冷たい風に向かって堂々と歩いて行く菅原文太。その背中には、主役は俺だぜという気構えが漂っていた(同)
そこには、約12年前、7歳下の三上の前で「松竹は冷たい」「約束が違う」と嘆き、大粒の涙を流した男はいなかった。
のちに文太は、高倉健と鶴田浩二を例に出し、「人気はその時のもので、永遠に続くものではない」と語った。賢明な文太は、自分もまた同じ命運にあることを予想していただろう。人気商売の儚さを自覚していたからこそ、ひとときの栄光を謳歌したのかもしれない。
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