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【写真】向田邦子直木賞授賞式での小林亜星と豪華出席陣

 そうした俗にいう「コマソン」と、イメージソングやタイアップといった、音源の商品化も視野に入れることが前提で企画される今の時代のCM音楽とでは、自ずと趣きも異なってくる。

1980年、第83回直木賞授賞式での小林亜星(右)。左から森繁久弥、向田邦子、森光子、加藤治子 ©文藝春秋

 私がCM音楽で生計を立てるようになった’70年代の終わりぐらいが、丁度その端境期にあたる頃だったろうか。まだまだ録音スタジオなどはレコード会社が使うものよりは確実にランクが下だった。

 コンピュータなど無論ない時代である。例えば13.5秒という映像の尺に合わせてピタリと演奏を終わらせる為の、専門職のコンダクターがいたりして、独特な世界だなぁ、と思ったりもした。

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 主従の関係(ヒエラルキー)でいえば、CM制作全体のなかで音楽は――構造的、或いは予算的にも――下流にあったと思う。

 そんなこんなで、なかなか“玄人好みの仕事”であるというのも性に合っていたのだろう。苦労/スリルはあっても、煮詰まったりストレスを溜めることもほとんどなく、粛々と注文をこなし続けてきた。

小林亜星のヒット曲って?

 表向きはロックンローラーだのヒップホップだのと派手なイメージで突っ張り通してきた私だが、その生活のほとんどはCM音楽の収入に支えられていたというのが実情なのである。

 おっとそんな話はどうでもよかった。

 小林亜星さんがお亡くなりになられた。

 個人的には面識がなくとも、中学校からの先輩にあたる。そして亜星さんというと何よりまたCM音楽の大御所ということもあって、何となくずーっと遠くからお慕い申し上げてきたのであるが、どのようなお仕事をされていたのか――述べてきたように匿名的特性を持つフィールド中心でのご活躍のゆえ――率直に申してそこまで詳しくは存じあげていなかった。

都はるみ「北の宿から」

 そりゃ『北の宿から』ぐらいは当然咄嗟にアタマに浮かぶのだが、そこから先がなかなか出て来ない。

 不勉強なのは致し方ない。背に腹は替えられぬ。ここはひとつネットをあたることにしようと検索をはじめてビックリした。CMやテーマソングなどはそれこそ気が遠くなるほどの数ものされておられるのだが、いわゆるレコード歌手の為の書き下ろしとなるとびっくりするほど少ないのだ。誤解を恐れず申せば、誰もが口ずさめる曲となると、ひょっとして『北の宿から』これひとつだけかも知れない。

 そりゃあなかなか色々思い浮かばぬのも道理だ。

 ホント。皆さんも是非検索してみてくださいませな。

 なんにせよ、今どきはどんな分野であろうとほとんどのことについてのデータなどあっという間にタダで調べがついてしまう。

 大切なのはそこから先(の解釈、読み)である。

 小林亜星という人にあって他にはない魅力とは何なのか。

 それがまさに今私が驚いた、代表曲以外殆どチャート的なヒットがない! とは、いわれなければ誰も思わない。気づかない。そのことなのではないか? ふとそう思ったのであった。