一口に流行歌の作曲家といっても出自やキャリアは千差万別だ。成功者には、それこそ上野の音楽学校出とか、案外思ったより少ないんじゃないのかな?

 たしかに歌謡曲の作曲をするのにアカデミックな知識もあったに越したことはないだろうが、あったからといって、大衆に支持される、俗にいう“琴線に触れるような名曲”が書けるかどうか、そこはまた別問題なのだろう。

 ところで大衆に支持されることが目的というのであれば、多少のベクトルこそ違え、広告宣伝用音楽やアニメやドラマの主題歌などもそうである。

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CM音楽の作家に求められる第一の資質は?

 ただ、かつてのそうしたカテゴリーに属する音楽(の世界)には、音源自体が商品として流通するような市場が基本的に存在しなかった。それゆえ演者にしろ作り手にしろ、おもてに名前の出るということもあまりなく、したがって現場の空気はより職人的で匿名性の強いものだった。決して名を売るような場所ではなかった。

 そのあたりの景色というか様子については、結構当事者の時代があったから詳しいのであるが、私みたいな“食えないロックミュージシャン”だったものにとって、手っ取り早くお金を稼ぐのにはCM音楽が何よりありがたい手立てだったことは間違いない。

2017年、「オール讀物」対談での小林亜星 ©文藝春秋

 名前をいえば、えっ、あの人があの曲を! とびっくりするようなケースもいっぱいある。

 CM音楽の作家に求められる第一の資質は、如何なる注文にも迅速に応えられること。これに尽きる。

「かしこまりました。ご期待下さい」

 今日は童謡、明日演歌。テクノフォークにジャズクラシックとクライアントの要求はとどまるところを知らない。縦横無尽にそれこそ突然、まったくそれまでこっちがかじったこともないようなジャンルの音楽に企画の内容が変わることもしょっちゅうだった。

 しかも締め切りは超タイトで、本番まで1週間なんてこともザラだった。

 打ち合わせをしながら、俺そんなの作れるかなぁ、やったことないし、と内心のヒヤヒヤドキドキとは裏腹な余裕の顔で、

「かしこまりました。ご期待下さい」

 とかなんとか安請け合いをしてはみたものの、さあどうする?

1974年、『文藝春秋』座談会での小林亜星 ©文藝春秋

 経験のほとんどない生の管や弦楽器のアレンジなど、慌てて参考書を買い求めてはどうにかこうにかもっともらしいカタチにまとめたりと、振り返れば本当に付け焼き刃&綱渡りの日々であったが、まぁおかげさまで“スコア”も少しは書けるようになった。

 なんとかこの歳まで、音楽を生業として生きながらえてこられたのも、若い時分のそういった“鍛錬”のあったればこそだったと……。そう思うことしばしばである。

 ひとくちにCM音楽とはいってもそこに歴史やトレンドのあるのもたしかで、遡れば昔は歌詞に商品名を歌い込み、効能や魅力を直接的/具体的に伝えるスタイルが主流であった。歌なしのBGM的なものは少なかった。