うーむ。この人の本質は、我々の抱いてきたイメージとは実は違うものだったかも知れない。
小林亜星といったとき、一方に浮かぶのが『北の宿から』ならば、もう一方にあるのが、かの「寺内貫太郎」なのに異論はあるまい。
「寺内貫太郎」の人気者で“慶応医学部~経済卒業”
そうなのだけれど、もうひとつ――今回ネットで調べてみて初めて知ったのだが――なんと亜星さん医学部に内部進学していた(思うところあって経済学部に移るのだが)。それが並大抵の成績では不可能なことは常識で想像のつく話である。
『北の宿から』でレコード大賞。「寺内貫太郎」でお茶の間の人気者、そして“慶応の医学部~経済卒業”と来た。
この3つ(に求められる能力は相当ベクトルを異にする)を易々やり遂げてしまうとは一体全体! いってみればもうこれは“キャリアのトライアスロン”ですよね? 色々と追悼記事を読んで、そうした視点での評価はもっともっとあるかなと思っていたのであるが、それはさておき……。
“慶應出身”音楽家に共通する「遊び心」
唐突ですが、この世代の塾出身の音楽家に共通する、遊び心のようなもののことがアタマに浮かんできたのである。亜星さんと高校が同期だった冨田勲は、まったく音楽の仕事とは関係なしに西城秀樹のスタジアムコンサートに大型オートバイのライダーとして出演を果たしているし、ふたつ下の三保敬太郎がレーシングドライバーとして鳴らしていたことも有名である。亜星さんと同じく多くのCM曲を手がけられている桜井順の変名が能吉利人であることもよく知られているところだ。
系譜といってはナニだが、私もそうした血をどこかで受け継いでいるのかなぁと思うと、ちょっと嬉しくもなるのだけれど、おっと失礼。またホントにどうでもいいような、私の話になってきちゃいましたね。閑話休題!
やはりレナウンの「ワンサカ娘」
亜星さんは、CMや番組のテーマソングに多く作品を残されてきた作曲家な訳で、先に述べた通りそこはあまり作り手の名前のクローズアップされることのない世界である。
え! 子供のころから慣れ親しんできたあの歌もこの歌も……と、そのカタログ量の膨大なことに、今さらながらに衝撃を受けてもいるところなのであるが、最初の体験はやはりレナウンの『ワンサカ娘』だ。
資料によれば’61年ということなので、小林亜星29歳の年の作品である。ちなみに(これも初めて知ったが)作詞もされていた。歌っているのがかまやつさんだったということも知らなんだ(そういえばかまやつさん、ステージで歌ってましたもんね)。てっきり弘田三枝子かシルヴィ・ヴァルタンかと思っていたのだが、それはその後のバージョンのようだ。
いずれにせよ、この楽曲の持つ、ビート感を魅力の中心に据えた作りの“ドライな感触”は、当時我が国で作られた音楽のなかでも抜きん出てポップ/モダンなもののひとつであった。今聴いても決して古びた印象を受けぬことが、その何よりの証左であろう。