今振り返っても、全盛期の久世さんはTBS社員という立場を“表現”のためのなによりの拠り所/武器として、それこそ使い倒していた訳で、極端に申せばスタジオをほぼ私物化して遊んでいたのだと思う。
その自在のフットワークのなかで生まれたヒットのひとつが『寺内貫太郎一家』であった。
久世光彦のキャスティングにおける判断基準はハッキリしていた。アピアランスと社会的意味の兼ね合いである。
久世光彦が目をつけたのは“圧倒的な体躯”
寺内貫太郎でいうと、先ずはあの小林亜星の圧倒的な体躯に目をつけた。そしてその見てくれのインパクトに“知る人ぞ知る文化人”であることがちょびっとスパイスの役割を果たすというプランなのだったと思う。決してその逆ではないことが重要だ。大作曲家(の肩書き)が出演することそれ自体は決して第一義ではないのだ。それが証拠にこのドラマで久世光彦は小林亜星には一切音楽を依頼していない筈だ。
実際殆どの視聴者には、寺内貫太郎を演じる人間の素性など、その外見の印象の強さに比べればどうでもよいことだったろう。とはいえ実はただの役者ではなく凄い作曲家らしいぐらいの情報/話題はなんとなく入ってくる。アピアランスと社会的意味の兼ね合いといったのはそういったことである。
そうした、演出家の目論見、意図をキッチリと理解し、やるべきことをやり遂げた(注文に応えた)のが小林亜星だった。振り返ってみても、あの画面のなかの巨漢の男の本業が作曲だったかと思い出さなければならないような“野暮な振る舞い”を小林亜星が見せることは、1秒たりともなかったのである。
これは、落ち着いて考えてみれば、他の文化人の人たちにはちょっと真似出来ぬ“至難のワザ”だった気もするのだ。
とかなんとか、つらつらと思いつくままに書き連ねてきてみたが、結局亜星さんの本質とは何だったのか。
要するに“気配を殺していた”人だった
ひとついえるのは、今もつい使ってしまったが、要するに「落ち着いて考えてみれば」といったような副詞のきわめて似合う生き方をされてきたということだ。
いい方を変えれば、眺めれば眺めるほど小林亜星はその取っていた行動のいちいちについて、要するに“気配を殺していた”人だったのである。
先に、その本質は我々の抱くイメージとは実は違うものだったかも知れないと書いたが、意味するところは同じだ。
気付くべきは、いま我々の思い出しているのは小林亜星という「人」なのではなく、圧倒的にその残した、自在な作品や表現の方なのだということである。
なににせよ『イエイエ』と寺内貫太郎が同じ人間の創作物だったとは、落ち着いて考えてみなくとも、本当にすごいことだった。御冥福を祈る。