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先生の言葉に号泣した日

――乃木さんはどういう心境だったのでしょう。

村西 彼女はよく「私は人生に逆らわない生き方をするんだ」と言ってましたね。私もそれに甘えて「じゃあひとつそれでお願いします」と。今思えば、お先真っ暗の時によくついてきたなと(笑)。普通は逃げちゃいますよ、女性の生命力はすごいですね。

――そんな中でも、お子さんは有名私立に入られたと聞きました。相当な苦労があったのでは?

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村西 学校にはね、本当に感謝してるんですよ。他の有名私立は保護者の面接があるんですけれど、幸い私の息子がお受験をした学校はなかったんです。でも息子の入った学校は子供の適性だけを見て入れてくれたんです。

――監督の息子さんが入った私立学校と言えば親の平均年収が数千万円という世界ですよね。

村西 たぶんそれはそうなんでしょう。でも私自身は、借金で肩身が狭い思いをしたことはないんです、学校が守ってくれましたからね。息子が小学校2年生の時に担任の先生に呼ばれて「お父さん大丈夫ですか? 経済的に難しい状況だというお話は聞いていますが、我が校には奨学金制度というものがありますから、お子さんを我が校から辞めさせるという選択はしないでくださいね。相談に乗りますから」と言われました。それを聞いて、私は号泣しちゃいましてね……。

――そんな辛い時期も、家族のおかげで乗り越えられた。

村西 そうですね。妻と子供たちをこれ以上悲惨な目に遭わせたくないといつも思っていました。私は本来は責任感も何もない人間だから、1人だったら諦めていたかもしれません。「誰のお金で食ってるんだ」って女房子供に言うご主人の話を世間では聞くでしょ? でも私にはその感覚がとても信じられない。男なんて、女房子供がいるから頑張れるんですよ。

村西とおる氏 Ⓒ文藝春秋 撮影・宮崎慎之輔

「彼はいい男優になるような気がした(笑)」

――2013年には見事に50億円の借金も完済されています。2000年代は、バラエティ番組などでもよくお見かけしました。

村西 どんな仕事も断らずに引き受けていましたからね。色々やりましたよ。今でも時々思い出すのは、私は実は有吉弘行さんをAVに誘おうと思っていたことですよ。

――有吉さんですか、なぜでしょう?

村西 2008年頃だったかなぁ、さまぁ~ずさんの番組で私と大木凡人氏が荒川の土手でサッカーをして、有吉さんがレフリーをするという変な企画がありまして(笑)。当時の有吉さんは猿岩石を解散して、にっちもさっちもいかない時代。休憩時間に有吉くんが土手に座ってぼーっとしてるのを見て、一世を風靡した彼がもう一度這い上がろうと必死なんだなと思ったんですよね。

――それでAVに誘おうとされたんですか?

村西 なぜか、彼はいい男優になるような気がしたんですよね(笑)。でもそれが今じゃ日本一の売れっ子でしょ? 声をかけなくて本当によかったです。ほっとしてます。

後編へ続く)