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所要時間が長いぶん居心地を良くした「ひのとり」の座席

 そして座席の居心地もいい。新幹線車両も悪くないけれど、「ひのとり」は近鉄が力を入れている。所要時間が長いぶん居心地を良くしよう、という発想だ。

 レギュラーシートのシートピッチは新幹線の普通席より12センチ長く、リクライニングはバックシェル式で後席に遠慮なく倒せる。上級クラス「プレミアムシート」は横3列配置、本革仕様のバックシェル式で、電動リクライニング、電動レッグレスト。まるでJR東日本とJR西日本の「グランクラス」なみの豪華装備。しかしレギュラーシートとの差額はわずか700円だ。

「ひのとり」のレギュラーシート ©️杉山淳一
「ひのとり」プレミアムシートから車窓を眺める ©️杉山淳一

 大阪在住なら、新大阪駅より難波駅のほうが便利という人も多いだろう。居住地からのアクセスが良ければ所要時間の差も縮まる。そして乗り心地、値段を考えれば、新幹線より近鉄、という選択はある。地元の電車、近鉄贔屓という面もありそうだ。なぜなら、近鉄名阪特急はかつて国鉄と互角の勝負をし、多くの人々に愛されてきたからだ。

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難波駅に停車する「ひのとり」 ©️杉山淳一

伊勢を目指した路線が結ばれ、名阪連絡が可能に

 近畿日本鉄道こと近鉄は、大手私鉄で最大の路線網を持つ。それは戦前戦中に進められた私鉄の合併、統合の結果だ。名阪特急は近鉄の大阪線と名古屋線を直通する特急列車だけれども、それぞれの路線は直通目的ではなかった。どちらも伊勢神宮を目指した「参詣鉄道」だった。

 大阪線は大阪電気軌道(大軌)が上本町~桜井間を建設、1929年に全通した。桜井~伊勢中川間は姉妹会社の参宮急行電鉄(参急)が建設した。全長3,432メートルの青山トンネルを始め16カ所のトンネル、135カ所の鉄橋を架設する大工事だった。参急線は1930年に伊勢中川まで開業し、現在の大阪線部分が開通した。参宮急行電鉄は同年、さらに山田駅(現・伊勢市駅)まで延伸し、両社は直通運転を開始。1931年に宇治山田まで延伸して大阪~伊勢神宮参拝ルートが完成した。

 勢いがついた大軌グループは、次に伊勢から名古屋への延伸を目論んだ。その先に電車による名阪間直通計画があった。参急は1930年に伊勢中川駅側から久居まで路線を延伸し、翌年に津新町に到達した。

「ひのとり」プレミアムシートの先頭車 ©️杉山淳一

 一方、津~伊勢間は伊勢電鉄が開業していた。1924年に伊勢鉄道として開業した全線電化路線だ。名古屋延伸と伊勢方面延伸を画策し、1930年には伊勢方面大神宮前駅へ延伸した。参急の参入に対する対抗策だった。桑名~大神宮前間に特急を走らせたけれども、この無理がたたり、伊勢電鉄は経営不振に陥る。

 参急も世界恐慌の影響で赤字状態だ。とりあえず1931年に津新町から国鉄の津駅まで結び、国鉄と伊勢電気鉄道に乗り換え可能となった。津~名古屋間は他社線になるけれども、伊勢回りの名阪ルートができた。三重~大阪間は、名古屋回りより伊勢回りのほうが早かった。