東武鉄道の特急電車「スペーシア」は、東武浅草駅やJR新宿駅と日光・鬼怒川方面を結ぶ特急列車として親しまれている。スピードを感じさせる流線型。しかし華奢ではなく重厚感もある。1990年生まれの平成っ子だけど、なんとなく昭和の雰囲気を残している。歴史ある日光へ行く列車にふさわしい、落ち着いた雰囲気だ。

 いまではJR新宿駅でスペーシアが、東武日光駅にJRの元成田エクスプレスの電車が佇む風景も定着した。しかし、2005年11月のJR東日本定例社長会見でこの計画が発表されたとき、鉄道ファンのほとんどがビックリ仰天した。なぜなら、東京~日光間の列車は、国鉄時代から東武鉄道とライバル関係にあったからだ。現在の成田エクスプレスと京成スカイライナーの関係に近い。ただし、東武vs国鉄のシェア争いでは、東武鉄道の特急「デラックスロマンスカー」が完全勝利となっていた。

東武鉄道の特急列車「スペーシア」 ©杉山淳一

 JR東日本と東武鉄道が手を結ぶ。それは往時の競争を知る鉄道ファンにとって青天の霹靂だった。大袈裟かもしれないけれど、東西冷戦の終了、ベルリンの壁崩壊と同じくらいの衝撃だ。その驚きを理解していただくために、まずは国鉄と東武鉄道の「日光競争」を振り返ってみよう。

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国鉄日光線、独占時代

 日光は奈良時代に勝道上人が創建した輪王寺、中禅寺などを中心に発展した聖地である。鎌倉時代より日光権現として知られ、日光東照宮で徳川家康を祀ると参詣客が訪れ、江戸時代以降、物見遊山の地として発展した。明治時代に参詣輸送を目的とした日光鉄道会社が設立され、その計画路線を引き継いで、1890(明治23)年に日本鉄道が宇都宮~日光間の鉄道路線を開業した。徒歩数時間の道のりが約1時間15分になった。この路線が後に国鉄日光線となり、JR東日本が引き継いだ。

 日光線の名称は1909年に制定された。当時の国鉄日光線は、上野~日光間で数往復の普通列車を運行していた。所要時間は約5時間半。1等車も連結したというから、日光参詣の主要ルートとして、市民階級の区別なく利用されていたようだ。1913年には上野~宇都宮間で快速運転が始まり、上野~日光間の所要時間は約4時間に短縮される。

JR日光駅 ©iStock.com

 ここまで、日光参詣輸送は国鉄の独占状態だった。しかし、快速運転を実施した背景には東武鉄道の日光線建設の動きがあったようだ。東武鉄道は東京・本所と栃木・足利を結ぶ目的で伊勢崎線を開業した。製糸業や織物業が盛んな北関東地域で路線網を築いていた。その実績のもと、葛生線葛生から日光を結ぶ路線を検討したけれども、山越えとなるため断念し、杉戸(現・東武動物公園)から分岐して平野部を北上する経路とした。