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東武鉄道、全線電化複線で宣戦布告

 地図を見ると、東武日光線は東北本線と平行するように見えて、少し離れた地域を通っている。東北本線は国策として郡山・福島・仙台に直行する経路をとっていたから、その付近の中堅都市から離れていた。こうした都市を東武鉄道が拾ったように見える。

 そんな東武鉄道の本気度もすごい。1929(昭和4)年に杉戸から新鹿沼、下今市と延伸し、約半年で杉戸~東武日光間を全線開業した。しかも、全線複線、全線電化というぜいたくさだ。ちなみに、この2年前に小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)は新宿~小田原間を一気に開業している。鉄道が将来有望な事業として認知された時代だった。

 すでに国鉄が通じている日光に、東武鉄道が全線電化複線で乗り込んだ。東武鉄道は日光参詣客の分け前をいただこう、あわよくばぜんぶいただこうという意欲満々である。

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JR日光駅と東武日光駅。東武日光駅は東照宮側へ、国鉄日光駅の進路を塞ぐような形で作られた

 しかも東武鉄道にはもうひとつの目論見があった。鬼怒川温泉である。かつては大名や僧侶のみ利用できた温泉が明治時代になってから一般開放された。大正時代に鬼怒川水力発電が始まると、鬼怒川の水位が下がり、沿岸で源泉がたくさん発見された。

 これらの温泉をまとめて、1927(昭和2年)年に鬼怒川温泉が成立した。東武鉄道は下今市駅まで達すると、水力発電所の資材運搬用として建設された下野電気鉄道と乗り入れを開始。この路線が後に東武鬼怒川線になる。東武鉄道は日光参詣と温泉行楽のふたつの柱を得た。

東武日光駅に停車する東武鉄道500系「リバティ」(左)とJR東日本の253系(右) ©iStock.com

国営鉄道vs東武鉄道の競争が始まる

 1929年の東武日光線全通時から、東武鉄道は週末に特急列車の運行を始める。特急料金不要の高性能電車を走らせて、浅草(現・とうきょうスカイツリー)~東武日光間の所要時間は2時間24分となった。国鉄の上野~日光間を結ぶ普通列車は3時間40分だから、東武鉄道のほうが1時間以上も早い。

 そこで国鉄は翌年、1930(昭和5)年に急行料金が不要な「準急」を走らせた。所要時間は約2時間30分で、東武特急と互角の戦いとなった。国鉄日光線は宇都宮駅の南方向へ分岐する配置だったため、準急は宇都宮駅で進行方向を反転する必要があった。そこで、さらに所要時間を短縮するため、東北本線の雀宮駅から日光線の鶴田駅を結ぶ短絡線を計画した。しかし、このルートは宇都宮駅を経由しないため、宇都宮の人々から反対運動が起きてしまい断念する。この「建設されなかった短絡線」が運命の分かれ道、国鉄の敗因となったようだ。

東北本線と日光線の短絡線ができていたら、戦況は変わったかもしれない

 同じ年、東武鉄道は特急電車の最後尾に展望車を連結。特急を補完する「急行」の運転を開始。翌年の1931(昭和6)年には現在の浅草駅が開業した。東武鉄道として念願の隅田川越え、都心乗り入れだ。この時から特急を週末限定から毎日運行とした。