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「本番中にこいつには負けたと…」明石家さんまの“アドリブ力”はなぜビートたけしを唸らせることができたのか

『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』より #3

2021/08/09
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 自著の中でたけしは、女性用のかつらを被り、おどけた表情をしているさんまの写真に次のようなキャプションを付けた。「TVをやっていて本番中に何人かこいつには負けたと思う奴がいる。その何人かのだいひょうはこいつです」(『コマネチ!』)

「笑いの教育者」としてのさんま

 こうしたなかで、『ひょうきん族』のさんまは演者として活躍するだけでなく、笑いの教育者としての片鱗を見せ始めた。

 コンビを解体したことに加えて、この番組のもうひとつの特徴は、芸人だけでなくスタッフが演者の列に加わったことだった。

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 今でこそバラエティ番組でスタッフが画面に映るのは日常茶飯事であり、ひとつの演出手法でさえある。だが、かつてのテレビでは、スタッフが画面に映り込むことはタブー視されていた。それを大きく打ち破るきっかけとなったのが、ほかならぬ『ひょうきん族』であった。しかもそこでは、番組担当のディレクターが扮装をしてコントに登場したり、「ひょうきんディレクターズ」として歌手デビューしたりするなど、素人のスタッフとプロの芸人との境界が曖昧になり始めた。

©iStock.com

 その中でさんまは、ディレクターがクラブのホステスにご執心であることを暴露したり、カメラマンに突然、「いい画、撮れてる?」とレンズ越しに話しかけたりするなど、積極的にスタッフに絡んでいった。その一方で、自らの無名時代の恋愛エピソードをネタにしたコントにさんま本人役で登場したりもした。要するにさんまは、自ら素人の代表となってお手本を示しつつ、スタッフを笑いの現場に巻き込むという仲介者的な役割を果たした。

 とはいえ、バラエティ番組のスタッフは、素人といっても、普段から芸人たちと身近に接し、笑いの呼吸やツボをある程度は心得ている。その点、プロの芸人と一般の視聴者の中間にいるような存在であり、笑いの現場に引き込むのはさほど難しくはない。

 しかしさんまは、スタッフだけでなく一般の視聴者に対しても、笑いの教育者として振る舞うようになっていく。『笑っていいとも!』は、その格好の場となった。

 さんまの『いいとも』初登場は、1984年2月の「テレフォンショッキング」へのゲスト出演である。それからわずか2カ月後にレギュラー入りし、その時からタモリとの「雑談コーナー」が始まった。

 単なる雑談をそのまま放送するという企画は、前例がなかった。『徹子の部屋』(テレビ朝日系)のようなトーク番組はあったが、それらは、生放送で何の決め事もなくただ2人で気の向くままにしゃべるというスタイルではなかった。そのため当初スタッフは大反対だったという(『本人』11号)。

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