「……もしもし?」
「アァー、もうダメだ、ダメかもしんないよT、俺! 俺ぁもうダメなんだよ、絶対もうダメだ……!!」
「なに、ちょっとどうしたの?」
「だってダメだろ絶対! ウチに来たんだぞ! 俺のウチに! お前は手合わせてるって言ってたもんなぁ……クソォ……俺はもうダメだ……アアーダメダメダメダメダメダメダメダメ! うわ、ほら、ほらほらほらほらほらほらほらほらほらほらほらほら蝉が」
ブツッ。
Tさんの額にブワッと汗が滲む。ゆっくりと携帯を耳から離すと、通話は切れていた。
二度とつながらない電話
Tさんは生唾を飲んでから、覚悟を決めて折り返したものの、何度かけても「おかけになった電話をお呼びしましたがお出になりません」と返されるばかりで、二度とつながらなかったそうだ。
そして数日後、Nさんの家族から電話があり、彼があの日の夜、車に乗ったまま海に飛び込んで亡くなったことを聞かされたのだという。
このとき、TさんはYさんにこのことを伝えないほうがいいと思ったそうだ。もともと、Nさんとはそこまで親交の深くなかったYさんを、運転手として巻き込んだ罪悪感があったのかもしれない。
その日からTさんは睡眠薬と合わせて、普段はあまり好んで飲まない酒を深くあおるようになっていった。何度も吐いたが、それでも倒れるように眠りにつくことができた。
そして、その夏の夜中、Tさんはフッと目を覚ました。
飛び起きたのではない。あれだけ酒をあおったのに、まるで自然に目覚めるように目が開いたのだ。
いや、目しか開かなかった。体は全く動かなかった。
だが、頭のすぐ上に誰かがいることは感じ取れた。
聞こえてきたのは初老の男性の声
眼球を限界まで上げると、視界の端ギリギリに、初老の男性がこちらを覗き込むように座っているのが見えた。
慌てて目線を天井に戻すと同時に心臓がギュッと縮こまり、手先が麻痺し、鼓動が耳の裏で感じられるほどに早くなる。……そして、聞こえてきたのは初老の男性の声。
「いやね、あの辺に引っ越したのはよかれと思ってなんですよ。娘のためでしたから全てを捨てられました。あの子、都会には馴染めない優しい子だったから。自然の中のほうが合うと思ってね。でも、あの山、忌み山ってんですからね。女は入っちゃ行けないだなんて、誰が信じられるかってね。思うじゃないですか」
Tさんは逃げ場のない恐怖に気がおかしくなりそうだった。