漫画を描く上では「リアリティがいちばん大事」
──クマ撃ちを題材にした作品というと、例えば『羆嵐』の吉村昭が書いた『熊撃ち』があります。これに登場する「クマ撃ち」たちも、「狂気」を秘めているというか、どちらかというと社会から外れている人達です。
安島 僕の持っているテーマでもあるんですけど、目的に合わせて人間は変わっていくと思うんです。そうならないと本物にはなれない。作中でも法律を破ったり、「人間的にはどうなの?」という主人公の師匠とかも出てきます。でも、そういう人を道義的な批判だけで捉えていると、難しい部分がある世界なのかなとは思います。
──安島さんご自身は狩猟をされないと聞いています。取材でご苦労されたことはありますか?
安島 取材は基本的にめちゃくちゃ楽しいので、あまり苦労はしてないです。人と話したり、同行して狩猟を見たり、すごく楽しいですね。ただ、取材先を見つけるまでが大変でした。企画が通って「ここから連載するぞ」という時に、何もソースが無いんで、何描いたらいいかわかんなくて。
「じゃあ監修者を探そう」となったんですけど、なかなかクマ撃ちの監修ができる人っていないんで。ようやく今ついている佐藤一博さんっていう銃砲店の店長に出会えて、そこからはなんでも面倒見てくれています。(ヒグマの頭骨を見せながら)こんなのとかくれるんですよ(笑)。2つ返事で引き受けてくれて、本当に監修のお陰で描けていると言っても過言じゃないです。
──クマ撃ちを続けるチアキの生活や、銃1つとっても生産年代にまで言及されたり、狩猟に限らず細部への様々なこだわりが感じられました。
安島 僕は銃そのものにそんなに興味はないんですけど、漫画を描く上でリアリティがいちばん大事だと思っています。生々しさが伝わったら、人はもう自然と感情移入できるので。そのための装置として、頑張って調べて描いているというイメージですね。僕の趣味というよりは、漫画を描くためのメソッドですかね。
──リアリティという話でいうと『クマ撃ちの女』で印象深かったのは、狩猟の泥臭さというか、後ろ暗いところも描いている点でした。自分の経験からも銃への弾の事前装填などの誘惑((※銃刀法では射撃直前まで弾を装填することは禁止されている)には、多くのハンターが駆られたことがあると思います。
安島 さっきの「狂気」の話にも繋がるんですけど、やっぱりそういうケースがあるのは取材しているとよく聞くんですよね。結局、法律もちょっと額面通りじゃ無理な部分があるんです。実際に現実で起こっている以上は、描かんとあかんなと。幸い僕は狩猟者じゃないんで、いろんなところに目配せする必要がないっていうのもありますけど、リアルに起こっていることは描きたい。もちろん少し配慮はしているつもりですけど…。