2016年7月26日、津久井やまゆり園にて19人の重複障害者を殺害、26人の重軽傷者を生んだ植松聖。凶悪事件の犯人としての姿ばかりが報道されるが、学生時代から事件直前までの植松を知る元交際相手の女性がいた。

 ここでは津久井やまゆり園で職員を務めた経歴を持つ、専修大学の西角純志講師の著書、『元職員による徹底検証 相模原障害者殺傷事件 裁判の記録・被告との対話・関係者の証言』(明石書店)より一部を抜粋。公判での元交際相手の供述を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

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交際女性Aの供述証書

第6回公判午前 弁護側立証開始。

 植松被告は青のフリースに黒いズボン。靴はサンダル。右手小指に包帯のようなものを巻いている。ミトンは付けていなかった。刑務官6人に連れられ入廷。

交際女性A 高校の同級生の供述調書(第6回公判)

 高校時代の言動や性格について。2016年頃から言動や性格に変化が現れたことについての供述。

 当時、同じ高校の同級生で、一時交際していた。事件前に「障害者は人間ではない」というメッセージのやりとりがあった。

 交際の状況について。高校には2005年当時、普通科、調理科、情報処理科の3つがあった。調理科には2クラスあり、私と彼はそこに通っていた。2005年、1年生の時に同じクラスで知り合った。8月に告白され、付き合うようになった。当時、彼は、バスケットボール部だったが一緒に登下校したり、土日も一緒にいるなど、常に一緒にいた。やさしく、連絡をマメにする人だった。記念日に手紙をくれるなど、大切にしてくれていると感じた。

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2回目に付き合った時、花束を渡される

 確か1年目だと思うが、内緒で指輪を買ってきて「そんなに高いものじゃないんだけど」と言ってくれた。サイズが合わなかったが、私のことを思って一生懸命選んでくれたということと、初めて好きな人から指輪のプレゼントをもらったことから、大切にしていた。その後、お互いに異性に焼餅を焼き、2回別れたが、仲直りし交際は続いた。2回目に付き合った時、体育館に昼頃呼び出され、「今から会えないか」と言われ、その時に花束を渡された。とても嬉しく今でもよく覚えている。

 実家にも行き来する関係で、遊びに行った時には、お母さんは息子の彼女には一般に良い感情をもたないだろうと思って緊張していたが、お母さんは「あらかわいい子ね、さとし、よかったじゃない」と言って下さってほっとした。その後もよく「喉渇いていない?」と気遣ってくれた。お父さんは口数が少なく、最初は、とっつきにくい印象だったが、ある日声をかけられ、リビングに行くと、昼ご飯にパスタを作ってくれた。私が「おいしい」と言うと「そうか」と嬉しそうに言っており、その後は打ち解けていった。

 当時は、彼がご両親に私とどこへデートに行ったとか、何でもオープンに話していたので、私から見て仲良さそうに見えた。私の母は彼について「はきはき明るく挨拶する子」と好印象を抱いており、父は娘の彼氏に対して複雑ながらも「いいんじゃないか」と悪い印象は抱いていなかったと感じる。