『昭和史』や『日本のいちばん長い日』など、数々のベストセラーを遺した半藤一利さんは、今年1月に90歳で亡くなられました。陸軍将校による座談会の記録を、昭和史研究の基礎資料として読み込んできた半藤さん。

「アメリカと戦争するなんて、夢にも思わなかった」。参謀本部、陸軍省の元エリートたちは、口を揃えてそう言いました。1941年、日本最強の巨大組織で、何が起こっていたのでしょうか。『なぜ必敗の戦争を始めたのか』(文藝春秋)より一部抜粋して紹介します。(全2回の1回目/後編を読む)

◆◆◆

ADVERTISEMENT

独ソ開戦前後と日本の国力

 さて、まずは独ソ開戦前後と日本の国力についての興味深いエピソードから。

 この独ソ開戦の1日前の昭和16年6月21日、アメリカは石油の全面輸出許可制に踏みきっているのです。これは日本からみれば事実上の輸出禁止と判断しなければならなかった重大なことであったのです。そこで翌22日、陸軍省燃料課長の中村儀十郎大佐が東条陸相に、石油問題について食いついています。航空ガソリンの手持ち量は38万5000キロリットル、これをいまの月間使用量1万5000キロリットルで割ると、現在の対中国戦を戦っていくだけでも2年ほどで尽きてしまうことになる。いや、他方面での必要なコストを考慮すれば、2年とはいわず1年ちょっとで作戦不能の状態に陥るであろうことは明白である、と中村大佐は必死の面持ちで陸相に訴えたのです。

「したがいまして、一刻も早くご決断を……」

 この中村大佐の言葉を最後まで聞くことなしに、東条陸相は答えたといいます。

「泥棒をせい、というわけだな」

 これを耳にしたとたん、アメリカの禁輸政策が実施されれば、東南アジアの油を狙うほかはない。そのことを陸相は「泥棒」という物騒な言葉でいっているのだな、そう中村大佐は判断したというのです。それで黙らざるを得なくなった。

 さらにもう一つ、注目すべき事実があります。陸軍主計中佐秋丸次朗を中心とする戦争経済研究班の、秘密裡に行われていた各国経済力の分析報告です。秋丸中佐がその報告を陸軍中央部(陸軍省と参謀本部)の首脳にくわしく説明したのも、6月22日前後のことであったというのです。

「石油が全面禁輸で対米英戦となった場合、経済戦力の比は20対1程度と判断されます。開戦後、最長にして2年間は貯備戦力によって抗戦は何とか可能ですが、それ以後は、わが経済戦力はもはや耐えることはできません」

半藤一利さん

 この秋丸中佐の誤魔化しようもない報告を聞いて、参謀総長杉山元大将が感想を述べるように淡々としていいました。

「よく、わかった。調査および推論は完璧なものと私は思う。しかし、結論は国策に相反する。ゆえに、この報告書はただちに焼却せよ」