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2021/08/10

source : 文春新書

genre : 読書, 社会, 歴史

「ならば、いつ戦争をしたら勝てるというのか」

 11月1日、この結論をもって大本営政府連絡会議がひらかれました。そのクライマックスの問答はつぎのようなものでした。賀屋興宣蔵相がいいます。

「私はアメリカが戦争をしかけてくる公算は少ないと判断する。結論として、戦争を決意することがよいとは思わない」

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 つづいて、東郷茂徳外相も反対論を。

「私も米艦隊が攻撃してくるとは思わない。いま、戦争をする必要はないと思う」

 これに永野修身軍令部総長が答えました。

「来たらざるを恃むことなかれ、という言葉もある。先のことは一切不明だ。安心はできないのだ。3年たてばアメリカは強くなる。敵艦も増えてしまう」

 賀屋蔵相が顔色を変えていいました。

「ならば、いつ戦争をしたら勝てるというのか」

「いま! 戦機はあとには来ない。いまがチャンスなのだ」

 そして、永野総長は机をドンと叩いたといいます。閣僚たちは黙ってしまいました。

 こうして11月5日に3回目の御前会議がひらかれました。事実上、太平洋戦争開戦を決定づける会議となります。東条、東郷、鈴木貞一企画院総裁、賀屋蔵相、参謀本部、軍令部各総長がこもごも説明し、つづいて原枢密院議長が天皇の代わりに質問し、予定どおりの答えが返ってきます。一言でいうと、もはや日米交渉による情勢打開はあり得ないということでした。

 質疑が終わり、原議長が結論をだしました。

「いまを措いて戦機を逸しては、米国の頤使に屈する(アゴで使われる)もやむを得ないことになる。よって米にたいし開戦の決意をするもやむを得ないものと認む。初期作戦はよいのであるが、先になると困難を増すが、何とか見込みありと(統帥部が)いうので、これに信頼す」

 これでわかるとおり、大日本帝国は確たる戦争指導計画のないまま、やれば何とかなるという見込みだけで、国家を敗亡に導くかもしれない戦争を決意したことになります。

 そしてこの御前会議の結論「戦争決意」は、アメリカに暗号解読されてしまいます。野吉三郎村駐米大使に送られた外交電報は、何とか日米交渉を妥結せよ、その期限は11月いっぱいである。米国務長官コーデル・ハルは『回想録』に書いています。

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