犯罪者が裁判で実刑判決を言い渡された場合に収容される「刑務所」。自由を剥奪された環境では、いったいどのような出来事が起こっているのだろう。

 銃刀法違反、覚せい剤所持・使用など、さまざまな罪を犯し、人生の3分の1にあたる20年間を“塀の中”で過ごしたさかはらじん氏は、自身の体験を『塀の中はワンダーランド』(ベストセラーズ)にまとめた。ここでは同書の一部を抜粋し、同氏が目にした驚きの光景を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

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四角い塀の中

 季節も初夏に入ると、刑務所の日の当たらないところで凍結していた頑固な根雪もすっかり溶けて、その汚く黒ずんだ姿を地上から消してしまうと、グラウンドでの運動が再開される。

 柔らかな、北の春の陽が射し込むある日の午後、ボクたち印刷工場の懲役は、半年振りにグラウンドの土を踏むことができた。足の底に触れる大地の柔らかな感触を味わいながら、やっと訪れた北国の遅い春に思いっきり息を吸い込んで、大きく身体を伸ばす。

 グラウンドには辺り一面、タンポポの花が黄色い絨毯を織り敷き始め、みずみずしい白樺の緑が、ランニングをするボクの心を惹きつけるかのように輝いている。ボクは門野や佐々山(編集部注:交流のあった受刑者)たちと他の懲役たちが野球に興じている外野の外側を大きく廻って、芝や土の感触を踏みしめながら走る。

©iStock.com

 塀の外では、冬の間、黄葉して汚い姿となっていた唐松の針状の葉が若々しい鮮やかな緑色になって、真っ青な空と鮮やかなコントラストを描いていた。

 北の大地では、遅い春になると一斉に植物が芽吹き始める。それは緑の爆発といったような感じで、力強い、漲るような生命力を感じさせてくれるのだ。

 この頃、ボクは三級から二級へ累進を果たし、かねてから申し込んであった独居へ転房していた。塀の中の停滞しているかのような時間の流れ。その流れの中に身をおくことはボクにとって、欠かすことのできない天の母が与えてくれた至福の時間だった。

 四角い塀の中……、それは、ボクにとって母の子宮であり、養分を与えてくれる母の胎内であった。聡明だったと聞く母をボクはこうして感じていた。それがボクの慰めだった。

 独居の四角い窓に映る景色の中に、蕾を膨らませた桜の木がある。まるで、額に納まった一枚の絵のような感じだ。

 そんな桜の木を見てボクは、「まだ咲かぬ桜に心奪われて……」と詠み、桜の蕾が弾けるのを楽しみにしながら日々を過ごしていた。

刑務所での運動会

 そんな北の春も、桜が開花すると、林芙美子が「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」と詠ったように、あっという間に美しく、儚い命は散っていき、季節は夏へとうつろってゆく。

 グラウンドでは運動会の練習が始まり、九月に入ると、その運動会が開催された。

 400メートル・リレーのメンバーは、一番手が無銭飲食、二番手はシャブ中、そして三番手にコンビニ強盗、四番手がドロボーといった、実にバラエティに富んだ罪名の懲役たちが揃っていた。