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堪忍袋の緒が切れて…

 そんなことがありながらも、誰も部屋の懲役たちは進んで争い事を起こしたくないので、表面的には何もなかったかのように繕って、日々暮らしているのだ。

 それからほどなくしてボクは、仮釈放の仮面接を一段階飛び越して、一発で本面接にかかった。するとガッツキ野郎の鳶職は、遊び道具のない刑務所で見つけた唯一の愉しみであるかのように、本面接のかかったボクにネチネチと攻撃を仕掛けてきた。面接がかかっているから何も言えないだろうと高をくくって、前以上に陰険さを増して……。

 ボクはその陰険さに、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまい、こうなりゃ、テメエの仮釈よりも大切なプライドを守ろう、と決心した。そして、効果的にやるには、人の面前で恥をかかせてやるのが一番だと考えた。

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 あるとき、この鳶職が工場での昼飯が終わり、食堂の二階から一階の流し場のところにある便所に降りて行くのを見て、ボクも看守から死角になる便所へ降りて行った。そして鳶職が便所の中で腕を組んで何人かの懲役と順番待ちをしているところへ行き、野郎の小便の終わるのを待ってから、ボクは面前で睨みつけると、

「オイ! お前よ、よくもオレを今までコケにしてくれたな。オレがおとなしくしていなると思って、今まで散々オレを舐めてくれたな、この野郎。こっちが仮釈で我慢してりゃ、その気になりやがって。ここで勝負してやるからかかって来い」

 今までおとなしくしていたボクが突然豹変して啖呵を切ったので、鳶職はボクの勢いに目を白黒させて怖気づき、「いや、誤解です。そんなつもりはございません」と、今まで聞いたことのない敬語を使ってきたが、ボクは鳶職の胸倉を掴んで壁に押し付けた。

「すみません。申し訳ありませんでした」

 鳶職が必死に謝る。

 ボクはこんな意気地なし野郎に、仮釈のために我慢してきたのかと思うと、自分自身が恥ずかしく情けなかった。

「この意気地なし野郎。舎房に帰っても大人しくしていろ。いいか、オレが今まで大人しくしていたサービスはここまでだ。わかったな。この野郎!」

 こんなバカを相手にしてもしょうがないと思ったボクは鳶職にそう言い置いて、掴んでいた手を離した。

 幸い、この件は二階にいる交代看守に気づかれずにすんだ。狙い通り、懲役の面前で脅かしてやったから、効果はてき面。それからの鳶職はすっかり借りてきた猫のようにおとなしくなり、しおれた青菜のようになっていた。

 次は、鳶職が、仮釈もらいたさに印刷工場にしがみつく番だった。普通の神経なら、印刷工場から上がっていくのに、恥を恥と知ることのできない哀れな懲役だった。

 こういう手合いの懲役は、土壇場になるとからきし意気地がなかった。

 ボクは、自分にとって何が大切かということを忘れていたのである。

【前編を読む】「若けェの、なァー、頼むよ、いいだろう」出所を翌日に控えた“老囚”の悲痛すぎる“願い”とは

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