三次郎 「全国の銭湯に行くうちに、いい銭湯がどんどん廃業していくのを目の当たりにして。京都も今では百十数軒、10年で70軒くらい消えてるんです。でも誰もそれに対してアクションを起こしてない事に、学生ながらもやもやしていて。将来的には銭湯をもっと若い人が来るような場所にしたいって思って。一旦アパレルに就職したんですけど、すぐにやめる決意をして。これからどうしようかなって思ってた時に、学生時代にバイトしてた梅湯の経営者が撤退するって話を聞いて、じゃあ、仕事、僕辞めるし、やらせてくださいってオーナーにかけ合って、それで梅湯をやることが決まったっていう(笑)。
最初はオーナーからも反対されたんです。オーナー自身も若い頃から本当にしんどい思いをしてたし、無茶だよって。でも熱意で押し切って。当時の僕はわかってなかったんです、正直」
若さゆえの初期衝動と熱意でオーナーを口説き、営業委託という形で梅湯の経営を任されることになった三次郎。しかし、念願の銭湯経営者という夢と希望は、すぐに打ち砕かれることになる。
始めてすぐに味わった挫折
三次郎 「いま、当時の梅湯を見てたら、やってなかったかもしれないです。というのも今でこそいい立地になりましたけど、梅湯の立地って旧赤線の中にあって、当時は隣が暴力団の事務所だったりして、治安も良くなかったですし。地域の人たちにはヤクザ風呂っていわれてたぐらいで。それにまともに銭湯業務をやったことがほとんどなかったんで、もういっぱいいっぱいで。設備や施設の故障と修繕、お客さん同士のトラブル、お湯が熱すぎる、ぬるすぎるなどの様々なクレームなどで、常にお客さんに怒鳴られてました。その反面、集客は全然伸びない。本当に只々しんどいだけ(笑)。
2015年の5月にオープンして3カ月経たないうちに心折れてました(笑)。どんなに忙しくても自信があったんですけど、でもいざやってみると、こんなにしんどいんかっていう。ロビーに布団を運び込んでそこで寝起きして、朝まきを取りに行って、そっから沸かし作業しながら事務をやって、3時半に店を開けて、閉店の夜11時までずっと店にいて、そのあとに売上集計、風呂掃除、で2時くらいに寝る。定休日はドリンクを業務スーパー買いに行ったり、修繕したり。それがずっと続いて。最初の1年間は1日70人前後でずっと推移してたんで、全然売上伸びなくて。家賃も払えないから大家さんにまけてもらって、最初の3カ月が3万円、次の3カ月が6万円、最終が15万円。今思ったらありえないですよね。
僕がほぼワンオペでフルタイムで働いて、ようやく月15万から20万くらい残るみたい感じでした。ひどいときは9万とか。その雀の涙ほどの利益も不慮の修繕費だなんだで消えていく…。地元の人のために残そうと思ってやってるのに地元の人たちからはクレームを言われる…。いったい何のためにやってんだろう? って段々辛くなってきて」