文春オンライン

連載サウナ人生、波乱万蒸。

「ヤクザ風呂と地元で呼ばれていた」 24歳のアパレル職が、京都「梅湯」経営者に“転職”したワケ

「ヤクザ風呂と地元で呼ばれていた」 24歳のアパレル職が、京都「梅湯」経営者に“転職”したワケ

京都・梅湯#1

2021/08/13
note

「悪徳業者に足元見られても適切な交渉ができなかった」

 掲げた理想と目の前にある現実。五条楽園という一筋縄ではいかないエリアで、客を相手にする商売のシビアさに打ちひしがれた三次郎。それに追い打ちをかけるように、今度は設備の老朽化と悪徳業者の魔の手が三次郎を襲う。

三次郎 「煙突がやばいくらい老朽化していて。地震で崩れたら、損害は僕が払わなきゃいけない。煙突を直すのも400万~500万円かかる。利益9万しか出てないのに(笑)。この時点で、そりゃみんな銭湯経営辞めるし、事業継承者がいないっていう理由も痛いほどわかって。そしたら今度は浴槽が漏れだしたんです。一晩たつと半分くらいまで水がなくなっちゃって。配管に穴が空いていたんです。それでいろんな業者に修理を頼むんですけど、全然直らなくて。一度ある業者に頼んだら、工事前に一回図面描きたい、図面代で5万かかるって言われて、藁にもすがる思いで5万払って。で、実際工事をしたんですけど、直らなかった。

 その上、『図面だけでも、手元に欲しいんですけど』って言ったらただのスケッチみたいなのを出してきて、建築士の人にも見てもらったら、こんなの図面と呼べるもんじゃないって。自分が若くて無知だったから、悪徳業者に足元見られても適切な交渉ができなかった。そんな自分も情けなくて悔しくて。それでも僕みたいな存在は珍しいから、全国からお客さんが来てくれて『頑張ってください』って声かけてくれて、それが続けていく唯一の原動力だったんですけど、もうそういう声すら聞きたくなくなっちゃった。そんなこんなで完全に心が折れて、これ、もう無理だなって」

ADVERTISEMENT

 
 
 

 2015年当時、若き銭湯活動家としてのその稀有な存在は、雑誌やテレビをはじめ様々なメディアに取り上げられ、今もその頃の姿はネットの過去ログで見ることが出来る。しかし好きなことで生計を立てるスマートな今どきの若者イメージとは裏腹に、24歳の青年は心で常に悲鳴を上げながら、孤独な戦いをしていたと思うと、切なさを禁じえない。

 それでもあきらめなかった三次郎には、あるきっかけが訪れることになる。