かつて花街だった京都、五条大橋から徒歩圏内にある銭湯「梅湯」。 「地域の人にヤクザ風呂と言われるほど雰囲気が悪かった」という梅湯を変えたのは、2015年に24歳の若さで経営を任された湊三次郎だ。そして、弟の研雄(けんゆう)は、兄の経営する「ゆとなみ社」の一員として、東京、北区にある十條湯の経営改善を任されている。後編では、銭湯マニアの兄弟のルーツに迫る。(全2回の2回目。#1から読む)

弟の研雄が参画する東京都北区の十條湯

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止まれない銭湯稼業、多角経営への道

三次郎 「28くらいのとき梅湯が軌道に乗ってきて、2軒目、3軒目、4軒目って新しい銭湯経営に勢いで突っ込んでいっちゃっいました(笑)。僕が銭湯を始めた理由は、とにかく日本から銭湯の灯を消さないというのが目的だったので、梅湯をやってる間も、他の銭湯を見て、この銭湯辞めちゃうんか、もっと自分に力があれば……と思うことがすごく多かったんです。梅湯1軒だけじゃなくて2軒に増やしたら、業界に対して、うちがもっと実績や事例を作っていけると思いました。

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 梅湯は、若い子が銭湯をするということで最初から注目度が高かったり、京都という特殊な立地もあって、典型的なローカル銭湯の復活モデルになりえるか自信がない部分もあったんです。だから、地方のもっと小さい銭湯でビジネスモデルが作れれば、他の地域でもノウハウを生かせるようになるなと考えました。それでいろいろ物件を探して、出会ったのが2店舗目の、滋賀県大津の都湯だったんです。膳所っていう街にあるんですけど、それまでその土地に行ったことはありませんでした(笑)」

夜はまた違った雰囲気で良い
クラシックなタイルが特徴的
入浴しながら古都に想いを馳せる。京都銭湯ならではの愉しみ。

 孤軍奮闘で銭湯経営をしてきた三次郎にとって、2店舗目の都湯は、プレイヤーから経営者へとスタンスを決定的に変えるターニングポイントになった。その大きな要因が、仲間と呼べる人々との出会いである。

三次郎 「今の店長が、将来的に銭湯をやりたいってうちに修業にきてくれた人で。その人の頑張りで店が盛り上がって行って、売り上げも立つようになった。それで本人が、都湯をずっとこの街に残していきたいっていう意思を強く持っていたんで、だったらうちから独立してやります? って話して。2号店には店長以外にも自分で銭湯経営をやってみたいっていう若者達がいたので、体験・修業の場として、受け皿の機能も果たしています。

 その中でスタッフ全体にプロ意識や将来的なビジョンも芽生えてきたので、3、4号店(滋賀県大津の容輝湯、京都の源湯)をやるときには彼らに任せていこうと思うようになっていました。僕が1年目苦しんで痛感したことを味わってほしくないので、最初からチームで一緒にやればある程度は支えられるかなと考えています。そういう人たちと共にどんどん店舗を広げ、今は東京の“十條湯”、豊橋の“人蔘湯”、大阪門真の“みやの湯”の経営に携わっています」