弟も生粋の銭湯マニア
京都からスタートした湊三次郎の銭湯再建活動は快進撃を続け、ついに東京にも進出。その店を任されるのは同じく銭湯マニアの弟、湊研雄。兄弟で銭湯を経営する彼らのルーツはどこにあったのだろう。
湊研雄(以下、研雄) 「僕は小さい頃から風呂好きだったんですが、兄が京都で銭湯にはまってるって聞いて、自分も上京するときに周りに銭湯があるところに住んでどんどん行くようになって。兄貴が東京に遊びに来たときに、一緒にめっちゃ回ったりとか、実家帰ったときに、やることないから2人で実家の車乗って、車中泊で三重県の銭湯を1週間で36軒回ったり(笑)。要は、2人とも銭湯オタク。それが西と東で別々にやり始めたっていうことですね。
東京銭湯っていう、銭湯を紹介するウェブがあるんです。あるとき、そこの社長から、川口で喜楽湯を経営するので手伝ってもらえないかと相談されました。当時、僕は上野の寿湯で働いてたんですけど、寿湯を退職して社長に会いに行ったら、もう1人男性がいたんですよ。歳も6個ぐらい離れてて全く知らない人だったんですが、2人で組んでやってもらいますと言われ、そのユウスケ君とは喜楽湯で4年一緒にやり、経営を再建するところまでいきました」
三次郎 「最初に相談できる相手がいるといないとでは、雲泥の差ですよ」
研雄 「兄が梅湯を始めたあと、顔がげっそりして、ぼーっとしちゃって心配になったことがありました。でも、僕にはユウスケくんという仲間がいたので、心が折れそうな瞬間っていうのは、兄ほどはなかったと思います。もともと、兄とはずっと合流しようっていう話をしてたので、僕は正式に兄の会社、ゆとなみ社に入って、兄は関西、僕は関東の銭湯物件をあたっていこうと」
弟も生粋の銭湯マニア。関東と関西、別々の場所で修業をしていた銭湯兄弟は満を持して合流することとなる。
研雄 「その頃、北区十条にある十條湯にお風呂に入りに行っているうちに社長と交流が出来ました。体がだいぶ弱っていらして大変だという話を聞いて、勝手に風呂掃除を手伝っていたんです。そういう経緯を経て、十條湯に住み込みで働かせてもらえないかって社長に相談して。東京の銭湯って裏に釜があって、その釜の上にタコ部屋という空間があるんです。そこでよければって言って頂いて、天井に頭がつく4畳の部屋に居候させてもらいながら、おかみさんのご飯食べて、お店を手伝っていました。その傍ら、ゆとなみ社で手掛ける物件を探したり交渉に行ったりしてました」