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人は悲壮感がある遺体の顔を見て「故人は苦しんで死んだんじゃないか」と勝手に決めつけ、勝手に不幸な死に際を想像してしまう。しかし遺体が穏やかな顔であれば、そこに安心が生まれるということに気づいたのだ。
「死」を楽しむ祭り、即身仏……
旅はまだまだ続いた。
震災から10年目を迎えた東北の被災地いわきでは「死」を楽しむ祭りに参加し、山形では苦行の果てに永遠の瞑想に入る即身仏を見に行った。
そうしているうちに、「死」は、恐ろしいだけのものではないように思えた。
世の中には、歴史上には、死と向き合って乗り越えようと試みた人たちがいる。幽霊やオカルトは、もしかしたら死を乗り越えようとするその過程に、存在せざるを得ないものなのではないだろうか。
そう考えると、究極の絶望「死」を直視することで、心霊が、怪現象が、そして生きていくことがより希望として感じられるようになるのかもしれない。
死を知る旅。それは現実と向き合ってどう生きるかを探る旅。
皆さんも一度試してみてはどうだろう。