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 刑務官のほうは殴った場面を見ていないですけど、そういう疑いがある以上は同じ工場に被害者と加害者を一緒には入れられない。だから、加害者に当たるほうを別の工場に飛ばすことになるだろう、と考えました。結局、いじめられていた方も飛ばされちゃったのは誤算でしたけど。

 こういった規則は、刑務所に入るときに渡される、「生活のしおり」というルールが記された34ページの冊子に書いてあります。僕はその全文をノートに書き写して持ち帰っているんですけど。

 

ーーどういった理由で、「生活のしおり」をノートに書き写したのですか。

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後藤 時間が有り余っていたのもありますけど、出所後に読み直して「こんなところにまた戻らないぞ」って思えるようにしたかったのもありますね。

 漢検や英検とか、行政書士の資格も取ろうとしたので、その勉強用のノートもありますし。日記も書いていましたね。

ーー留置場にいた頃は、漢字を書くこともままならないとおっしゃっていましたが。

後藤 勉強は、刑務所に入ってから好きになりました。定時制高校には通いましたけど、面接だけで受かるようなところでしたし、それまでまともに勉強したことがなくて。

 でも、刑務所で漢検3級を受けて、初めて試験というものに受かったことがものすごく嬉しかったんです。自分もやればできるんじゃないかって自信になった。それに、刑務所で頑張っているっていうことを家族に見せたいって思った時に、資格を取れば、その頑張りをかたちとして家族に見せられるなと思って。

 

刑務所でも支えてくれた家族の存在

ーーそこにもご家族の存在があるのですね。真希さんは面会には。

後藤 他の家族は頻繁に来てくれたんですけど、姉ちゃんは半年に1回くらいですね。事務所から面会に行くのを止められていたようですけど、来てくれました。

ーー2010年1月24日、お母様が自宅3階の窓から転落するという事故で亡くなってしまいます。辛い質問になりますが、服役中という状況だと自分を責めてしまうものですよね。

後藤 そうですね。その1月に母は面会に来てくれて、普通に元気だったし、おかしなところがなかったんですよ。だから、なおさら悲しかったし、信じられなかったですよね。自分のせいでいろいろな問題が起きたのは間違いなかったので、家族からも「祐樹の中でも、考えなきゃいけない部分はあるんじゃないの」という重い言葉もかけられました。

 姉ちゃん(後藤真希)は面会に来てくれたときに「お母さんは亡くなっちゃったけど、家族みんなで力を合わせて頑張っていこうね」と言っていましたけど、すごく辛そうで。それがまた、自分にはきつくて。