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「彼は『後悔をしてる』や『いまだったら、ああいうことはしないだろう』とは言いました。だけど、母親に対して申し訳なかったという謝罪の言葉は最後まで言えなかった。だから少年院に入ってからも、それが課題だったんです」

息子への愛情

 少年院に収容された山地から内山さんに手紙が届いたのは、入院から8カ月を経た01年5月のこと。生活について〈これといっての変化は見られません〉と記された手紙のなかで彼は、自分の事件の資料について、〈なるべく全て送ってほしい〉と依頼してきた。

 それに対して内山さんは7月に、事件記録をいますべて見てもらっていいのか判断がつかないため、いちど直接会って話をしたいと返信した。その手紙には山地の母・敏江さんがつけていた手帳とノートの一部のコピーを添え、〈アパートの部屋の中から、この手帳とノートを見つけ、この部分を読んだとき、さびしい気持ちと、心があたたまるような思いとがごちゃまぜになった気持ちがしました。山地君がお母さんを殺してしまったことは、やはり君にとって、大きなまちがいだったと確信しました。お母さんは山地君に愛情を注ぐことができず、十分に大切にすることも、一人前に扱うことも、できなかったのかもしれないけれど、少なくとも、過去の一時期にはたしかに君のことを、一人の母親として思っていたのですから〉と書いて送った。内山さんは振り返る。

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「お母さんは手帳の予定欄に、息子と自分の誕生日にだけ印をつけていて、彼が家出したときには『かえらない』と書かれていました。息子への愛情表現は上手ではなかったかもしれないんですけど、たしかに愛情はあったし、彼が口にするほどひどい母親ではなかったと思います」

届かない母の愛情

 しかし、その言葉は山地には届かない。翌月に出された彼からの返信には次の文章がしたためられていた。

〈この記録を読んで、思い出したことは、「あの人は、何かあるたびに、記録をする」といった癖があり、監視されている、見られているといった一種の被害妄想に近い状態になったことがあります。その頃は、よく家出をしていたものです〉

 結局、事件の記録について山地に見せるかどうかの判断は少年院に委ねられ、認められないとの決定が下された。それを受けて山地は〈「事件資料を見たい」と私が思ったのは、事件を振り返るといったことだけでなく「私を知る」「家族を知る」といった思想から始まっています〉と理由を解説し、また時機を見て申請する心づもりであることを01年12月13日付の手紙で明かしている。

連続殺人犯 (文春文庫)

小野一光

文藝春秋

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