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《大阪姉妹殺人事件》16歳で母親を殺害、25歳で死刑執行された山地悠紀夫の最後の手紙「私は生まれてくるべきではなかった」

『連続殺人犯』より#10

2021/09/13

source : 文春文庫

genre : ライフ, 読書, 社会

「蚊も人も俺にとっては変わりない」「私の裁判はね、司法の暴走ですよ。魔女裁判です」。そう語るのは、とある“連続殺人犯”である。

 “連続殺人犯”は、なぜ幾度も人を殺害したのか。数多の殺人事件を取材してきたノンフィクションライター・小野一光氏による『連続殺人犯』(文春文庫)から一部を抜粋し、“連続殺人犯”の足跡を紹介する。

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CASE2 山地悠紀夫
大阪姉妹殺人事件

最後のプライドが崩れた

 それから2カ月後、山地は福岡県福岡市にいた。そこは福岡のゴト師集団が借りていたアパートで、室内には研究用のパチスロ機が並んでいた。山地はこの集団の元締めを知る西田さんの紹介で、体感器と呼ばれる大当たりの周期を知らせる器械を使ってパチスロを打ちに出かける、ゴト師の「打ち子」になっていた。

 紹介に至る一連の流れを改めて取材するため、私は山口県内で西田さんを探した。彼は姉妹殺人の法廷でも証言し、数社だがマスコミの取材も受けている。だが、残念なことに西田さんは数年前に不慮の交通事故で亡くなっていたことがわかった。

 山地のゴト師仲間を知る人物は、当時の状況を教えてくれた。

©iStock.com

体感器をめぐっての攻防

「彼がいた集団の元締めは、みずから体感器を作っていて、その販売もしていました。地方のビジネスホテルなどで実演販売をすることもあり、山地はそこで見本として、体感器を実際に使って見せていた」

 この時期、ゴト師とホール(パチンコ店)側は、体感器をめぐっての攻防を繰り広げており、ホールが器械を感知するセンサーを設置し始めるようになると、ゴト師たちはセンサーのない地方を探して遠征するなどしていた。しかし、警察当局もゴト行為に対して窃盗罪を適用するようになるなど、ゴト師を取り巻く状況は厳しくなりつつあった。

 そんな折、事件が起きる。ゴト対策の厳しくない地方を狙い、中国地方へ山地ら「打ち子」たちが遠征したときのことだ。05年3月13日、岡山県瀬戸町のホールで、体感器を使っていた新人の山地が店員に取り押さえられ、地元の警察に逮捕されてしまったのである。