この記事を書くにあたり、仏前に線香をあげさせて欲しいと願う私を、彼女は家に上げてくれた。愛娘2人の大きな写真が飾られ、供物の置かれた仏壇に手を合わせる。
「今日はお父さんは……」
振り返った私は千鶴子さんに尋ねた。事前に、父の文雄さん(仮名)はあの事件を受けて糖尿病を悪化させ、最近は目がほとんど見えなくなっているようだとの話を聞いていた。
いまはずっと家で寝たきりの状態
「今日は介護の施設に行ってます。事件の精神的なショックから失明し、5年前には脳梗塞で倒れ、その1年後には直腸がんが見つかりました。そのがんが去年9月に転移していることがわかって、いまはずっと家で寝たきりの状態なんです」
聞けば、千鶴子さんも事件から3年間は鬱病を患い、家から出ることができなかったという。しかし、夫が体調を崩したことで、なんとか自分で動けるようにまでなっていた。
「主人が施設に行く週2回だけ、友人に勧められて畑で土いじりをしているんです。いまもそこに行くところでした。そのときだけは無我夢中になって、なにも考えないで済みますから……。それまでは夫婦2人で死ぬことしか考えていませんでした。生きるのなんて考えていない。有希と真美のお骨も、いまだに納骨してないんです。親より先に納骨なんて、むごいことできません。いまは主人があの世に連れて行くと話しています」
いくら言葉に出しても表せない
今年(15年)11月で事件から10年が経つ。しかし坂田家の時間は止まったままだ。目の前の千鶴子さんの憔悴した姿がそのことを物語っている。
「山地の死刑執行は、慰めにはならなかったのでしょうね……」
なんとか言葉を継いだ。千鶴子さんはかぶりを振る。
「死刑執行も頭にありません。聞いたところでどうしようもないです。余計に思い出してしまうから、10年前から新聞もとらなくなりました。この気持ちは、いくら言葉に出しても表せないと思います……」
頭を下げ、家を後にした。歩いて坂を下っていると、ちょうど中学生の下校時間にぶつかった。無邪気にはしゃぐ子供たちを見ても、目を細める気分にはなれなかった。