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《大阪姉妹殺人事件》16歳で母親を殺害、25歳で死刑執行された山地悠紀夫の最後の手紙「私は生まれてくるべきではなかった」

『連続殺人犯』より#10

2021/09/13

source : 文春文庫

genre : ライフ, 読書, 社会

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 逮捕されたのは山地だけで、仲間は全員福岡に引き揚げた。とはいえ、山地が余計なことを口にすれば、今後の活動に影響を与えることは必至だった。しかし彼はしらを切り通し、無事に起訴猶予で釈放されたことで、ふたたび集団に迎えられた。

 夏にはホールによる体感器への対策はより強固なものになった。体感器を使用しただけで警告ランプの点灯する店ばかりになったのだ。そうした苦境を打開するため、元締めは大阪にマンションの一室を借り、近畿周辺の遠征での足場にした。それこそが、後に山地が姉妹殺害に及ぶマンションだった。

数人の仲間と大阪での生活

 この時期、稼げなくなる「打ち子」が出る一方で、山地は大負けすることもなく、コンスタントに勝ち続けているように周囲の目には映ったという。

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 そして11月になると、山地は数人の仲間と大阪での生活を始めた。じつは彼は発見されるリスクの高い体感器を使わず、消費者金融で借金したカネをゴト行為での戦利品と偽(いつわ)り、自分の取り分を差し引いて元締めに上納していた。しかし、その借金の総額も100万円近くになり、これ以上は借りられないところにまできていた。前出のゴト師仲間を知る人物は断言する。

「帰る場所のない山地にとっての拠り所は、自分が元締めの右腕だというプライドだけでした。しかし元締めは“稼ぐ”ことのできなくなった山地を怒鳴り散らしていた。それでたまらなくなり、逃げ出したんです」

 11日未明に大阪に着いた山地は、13日夜に元締めのもとを飛び出し、14日夕方に戻って「辞めさせてください」と告げると、荷物をまとめて部屋を出た。そして15日にナイフやハンマーを買い、17日未明に姉妹2人を殺(あや)めたのである。

〈今回、私が姉妹2人を殺害した事は間違いありません。それについて、弁解をする気持ちは、ありませんし、出来ません。(中略)

 私は少年院の時に、過去の自分について、反省、つまり「省」をしていました。そして、その時に気が付いたのは、小学校2年生の時に私はすでに「警告音」を発していたのだと分かったのです。もし可能ならば、小学の卒業アルバムを見て下さい。そこに「時間」というタイトルの詩があります。(中略)