困った存在でした
福岡入りして取材を始めてからわかったことだが、これらの犯行当時に鈴木は、土木作業員ではなく運送会社に勤め、トラックで生鮮食品などの配送をしていた。その配送エリアのなかに、彼が犯行に及んだ3つの地域が含まれていたのだ。
しかも、事件が起きた日のうち2日は鈴木の出勤日で、犯人だとすれば犯行後に何食わぬ顔で仕事をしていたことになる。鈴木がかつて勤めていた運送会社の関係者は言う。
「鈴木は12月13日の午前4時に福岡方面に向かって出発しているので、最初の事件は仕事前の犯行です。次の事件があった12月31日は休みでしたが、犯行現場は鈴木が仕事で使う、田川市から北九州市に向かうルートのすぐそばで、保冷車のタコグラフを見ると、その数日前から現場の近くで停車していた記録が残っています。さらに1月18日は午前3時過ぎに福岡市に向かい、納品作業をして午前5時から5時40分まで休憩。続いて午前6時から納品作業をしていますので、途中の休憩時間にやったのだと思います」
周囲で鈴木の変化に気付く者はいなかった。もっとも、鈴木が同社に入ったのは最初の犯行のわずか2カ月前の04年10月だったことから、それも無理はない。関係者は続ける。
「鈴木は事故を何度も起こしていて、困った存在でした。11月の試用期間中に“独り立ち(単独運転)”をしたのですが、そこでまず自損事故を起こしました。それで数日間謹慎処分を受けて、12月18日からふたたび独り立ちしたのですが、(05年)1月上旬には2度目の事故を起こしています。福岡市で事件を起こした18日は、謹慎処分後に運転を再開した日でした。しかしその翌日の19日未明にまた事故を起こしてしまい、22日に退職したのです」
以来、3月に逮捕されるまでの間は土木作業員をしていたため、逮捕時に発表された職業がそのようになっていたのだ。