「蚊も人も俺にとっては変わりない」「私の裁判はね、司法の暴走ですよ。魔女裁判です」。そう語るのは、とある“連続殺人犯”である。
“連続殺人犯”は、なぜ幾度も人を殺害したのか。数多の殺人事件を取材してきたノンフィクションライター・小野一光氏による『連続殺人犯』(文春文庫)から一部を抜粋し、“連続殺人犯”の足跡を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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CASE3 鈴木泰徳
福岡3女性連続強盗殺人事件
責任転嫁の陳述書
「鈴木は北九州の事件で再逮捕されたあとで頭を丸坊主にしました。ただそれは事件を反省したからではなく、暑かったからというのが理由です。物盗り(強盗)を否認するなど態度が悪く、被害者に謝罪する素振(そぶ)りもない。そんな鈴木に対して、捜査員はみんな不快感を持っています」
一審の裁判が始まる前に、福岡県警担当記者から聞いていた話だ。
06年9月7日の日付で書かれた鈴木の意見陳述書のコピーを目にしたとき、その言葉を思い出した。一審の判決公判を2カ月後に控えて作られたその陳述書は、鈴木による手書きで、最後に指印が押されている。
書き出しこそ殊勝な反省の言葉で始まるが、以下は捜査の不当を訴え、言い訳をする文言が延々と続く。
〈検察側の言っているように、私自身が法廷で噓をつくのではなく、警察や検察が考えた、噓の犯行内容の供述調書を都合のいいように押し付けて作成したのであって、本当に噓つきなのは、捜査側である、警察と検察側なのです〉
続いて〈裁判長、裁判官のお3方にお聞きします〉として、次のような質問を投げかけている。
〈裁判所は検察側が全て正しいと思っているのでしょうか? 質問のしかたが、検察よりで、トゲがあるように感じるのですが。
前の裁判長も裁判官も、7回公判時、私が一度も、反省や謝罪の気持ちを見せてないと言うが、法廷の出入場時に傍聴席に一礼をし、公判内でも謝罪の言葉を述べているし、退廷時にも、述べている。これで駄目なら、どんな態度をすればいいのですか? 見て見ないふりですか?〉
この文章に至っては、もはや“逆ギレ”の様相を呈している。そして犯行の動機について、責任を転嫁する言葉が続くのだ。
〈当時の妻の一言一言が辛かったことは確かです。(中略)自分なりに、今度こそ、頑張って、やり直そう、だから、小遣いはいらない。私の精一杯の努力を理解してほしかった。だから、仕事に行く時のガソリン代くらい、グチを言わないでほしかった。私は自分の借金で妻だけでなく、親にも迷惑をかけていて、当時の私は、何とも言えない孤独感につかれきっていました〉