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失踪から19日が経って、ようやく公開捜査に踏み切った

 親族は爽彩さんの失踪直後から公開捜査も希望していたが、実際に公開捜査に警察が踏み切ったのは3月4日のこと。爽彩さんの失踪からは既に19日が経っていた。この点にも遺族は“疑問”を持ったという。前出の親族が続ける。

爽彩さんが亡くなった公園に置かれていた花束 ©️文藝春秋

「失踪当日に警察からは『公開捜査にしてもいいですか?』と聞かれたので、母親もその方が情報がより多く集まると考えて承諾していました。しかし、なかなか公開捜査にならなかった。別の親族が2月中旬に地元のメディアに爽彩の行方不明のことを記事にしてほしいと連絡しても、『公開捜査になっていないので記事は書けない』と断られてしまった。そこで再度、警察に確認すると『生きて帰ってくることを考えたら、(ネットの行方不明者情報に名前を)載せるべきではない。SNSもお薦めはしない』『爽彩ちゃんが生きて帰ってきたときのことを考えてください』と言われたそうです。しかし、当時の家族の思いとしては爽彩が見つかることが最優先でした。今でもその判断が正しかったと思っています。どうも警察には、失踪当初から『これは家庭の問題がこじれた結果、家出しただけだ』という思い込みがあったように感じました」

 取材班は旭川東警察署に公開捜査に踏み切ったのが失踪から19日後になった経緯などについて問い合わせた。すると、管轄する北海道警察旭川方面本部から以下の回答があった。

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「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」

 爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。 

イジメがあった公園 ©️文藝春秋

もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば……

 前出の遺族が肩を落とす。

「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」

 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。

小学校2年生の時に母親と花火を見た時に書いた絵

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 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か?

 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。

娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件

文春オンライン特集班

文藝春秋

2021年9月10日 発売

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。