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退避前日、空港に集まったのはわずか26人

 この記者の話や複数のメディアで報じられた話をまとめると、韓国のアフガン退避作戦は次のような経緯になる。

 8月20日。現地スタッフに「退避オペレーションは24日」であること、集合場所、時間などを伝える。

 8月22日。一時的にカタールに退避していた駐アフガニスタン大使館員4人が再びアフガニスタンのカブール空港へ到着。韓国人の大使館員は全員、17日にカタールに撤収していた。再び現地に戻ったキム・イルウン駐アフガニスタン韓国大使館公使参事官は聯合ニュースのインタビューで、「(現地スタッフに)韓国に必ず移送する。方法を考えるから、連絡する」と後ろ髪引かれる思いでカタールに退避したと語っている (聯合ニュース、8月27日)。 

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 8月23日未明。韓国から輸送機3機がアフガニスタンの隣、パキスタンのイスラマバード空港へ向けて出発。冒頭で言及した通り、徐薫・国家安保室長が国会で発言していた頃はすでに上空にいたことになる。

 現地スタッフと家族は当初、徒歩で空港に入る予定だったが、この日、空港に姿を現わした現地のアフガニスタン人スタッフと家族は26人だった。

 韓国へ退避を希望している残り365人をカブール空港に移送するため、急遽計画を変更。米国が提案したバスでの移送に切り替えた。

 この前日、米国は外国政府の協力者をカブール空港までバスで移送できるようタリバンと交渉し了承を得ていた。バスの情報を提供すれば米国がタリバンに接触して検問所を通過させてくれることになった。現地に戻った韓国大使館員は米国と交渉し、各国で争奪戦になっていたバスを6台確保した。

 計画の変更を再び残された人々に知らせ、「数台の大型バスがいると目立つのであまり早く集まらないように」と念押ししたという。

8月24日、タリバンに足止めされ通過できず

 8月24日。予定では午後3時30分に空港のメインゲートを通過する予定だったが、タリバンに足止めされ通過できなかった。乗り合わせていた韓国の大使館員が携帯に保存していた「旅行証明書」を見せたが、タリバンは「原本ではない」と許可しなかった。

 エアコンも効かないバスの中に14~15時間閉じ込められたまま。窓は外から中を見られないよう黒く塗られており、暑さと不安から子どもたちは泣き出したという。最後には、「韓国では皆こうしている(携帯でも電子文書を送っている)」(東亜日報、8月27日)と話し、空港のゲートを通過。

韓国政府関係者を移送するバスの中の様子 ©️Getty

 8月25日未明。現地スタッフや家族らを乗せたバスがカブール空港内に到着。救出予定者全員が搭乗していた。この翌日の26日には空港付近で自爆テロが起きており、まさに間一髪だった。

 25日、韓国外交省は、「8月26日に仁川国際空港にアフガニスタンの現地スタッフと家族が到着する予定」であることを明らかにし、韓国内での滞在場所などについても公表した。

 8月26日午後6時過ぎ仁川国際空港のゲートに姿を現わした現地スタッフと家族らの第一陣377人の様子が報じられた。当初は378人と報じられたが、1人は移送対象名簿にないことが分かり、カブール空港に再び移送し、米軍に引き継いだという。残りの13人は27日午後到着している。本来ならば427人が韓国に退避する予定だったが、36人は他国や現地に留まる選択をしたと伝えられた。