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 軍事的緊張状態が続けば、第一のミッションも残り続け、「武闘派」の意見が常に強く出る。緊張状態がなくなれば様子は変わるはずですが、国際的なタリバン嫌い、イスラム嫌いの脅威にさらされていると彼らが感じる限り、必然的に「武闘派」が主導権を握る状態が続くと思います。

「武闘派」から主導権を奪うためには、国際社会がタリバンに対して融和的になり、タリバン内の融和論を優勢にする必要があるのですが、タリバンはイスラム法に基づいた国づくりという方針は変えられませんし、国際社会も女性をはじめ人権問題を見逃すわけにはいかない。その結果、「国際社会からつまはじきにされている」という彼らの“被害妄想”も止まないので、結局は「武闘派」が力を持ち続けることになるでしょう。

〈今回の「組閣」メンバーの中で、田中氏が「納得がいく」と表現するのが、外相のアミール・ハーン・ムタキだ。拙著『大仏破壊』でも、武闘派の出身ながら国際社会の論理に理解を示し、強硬派とは異なり文化遺産の保護に動いたことを描いている〉

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田中 ムタキは前回の政権でも、オマル師から指名されて国連を仲介者とする和平交渉にあたっていました。私たちの言うことを咀嚼して、自分なりの考えを巡らせている様子が見て取れました。交渉の進め方に関する覚書にもタリバンを代表してサインしたことがあります。キルギスでウズベキスタンの武装勢力に囚われた日本人人質4人の解放に力を貸そうとしてくれたことも思い出されます。ただ、彼一人が政権を動かせるわけではなく、今後のタリバンの外交交渉がスムーズに進むことを意味しているわけではありません。

「人々が動いてくれなければ、結局は力に訴えるしかないのです」

タリバンがアフガニスタン政権を掌握したことで、首都空港には国外に逃れようとする大勢の人々が集まった ©AFLO

高木 2001年までの数年間、タリバン政権がアフガニスタンを一応「統治」していたことになっていますが、その形に戻ることになるでしょうか。

田中 今回も銃をチラつかせて同じことをやったら、間違いなく国は動きません。アフガニスタンの人々の期待が、当時とは違うレベルに達しています。2001年以前は、内戦で焦土と化し、国として何も機能していない、安全も保たれないという状況でタリバンが出てきて、カブールを占領し、政権を担うということになったわけです。

 当時も大臣や次官を決めたりしていましたが、行政機構として実際にどれぐらい動いていたのか正直疑問です。私も当時の外務省に出入りしていましたが、職員も少なくガラガラでした。役人が最も多かったのは教育省ですね。教育省はマドラサ(神学校)を管轄するので、その数が結構ありますから、それでわりと活気があったのかもしれませんが、他の省庁は人がいなかった。

 いまタリバンは、前政権の協力者でも恩赦するなどして、行政機構に勤めていた人たちを呼び戻そうとしていますが、彼らだって、これまでやってきたことが全否定されるかもしれない環境のもとにわざわざ戻らないと思います。ありえるとすれば、家族らを人質に取って無理やり働かせるパターンです。

 とくに軍関係ではあると思います。2001年以前のタリバン政権はソ連製のミグ21戦闘機を数機持っていたのですが、タリバンは飛ばす能力がありませんでした。それでアフガニスタンの旧共産党政権期の軍パイロットを探してきて、その家族を人質に取ってタリバンのために働かせて、空爆させていました。そういうことはまたやると思います。いま、タリバンは柔らかい顔で呼びかけをしていますが、号令に従って人々が動いてくれなければ、結局は力に訴えるしかないのです。

民主主義に手をつけると「タリバンはタリバンでなくなる」

高木 以前からはっきりしていることがあって、タリバンは民主主義というものは全く採用しないですよね。