タリバンは“織田信長”なのか?
高木 タリバンという存在は、日本人には分かりにくいものです。あえてタリバンという存在を日本の教育現場で若者たちに説明すると、どんな存在なのでしょうか? 山賊とも違いますし、日本なら戦国時代のようなイメージでしょうか?
田中 難しいですよね。極端な言い方をすると、1994年に内戦状態のアフガニスタンを平定するために出てきた当時のタリバンをたとえるとすれば、例えば織田信長でしょうか。
全国を平定して安定させようとしたとか、商業を発達させようとしたという観点で見ると、タリバンもそういう要素も少し持っていましたから。その過程では、織田信長は比叡山焼き討ちなどのひどいこともたくさんやっているわけで、それをどう捉えるかですよね。
ただ、最近はドラマやゲームでも、織田信長はあまりにヒーローとして描かれてしまっていますから、その方向で勝手なイメージを膨らませるのは的外れに逸れていくだけですし、特にいまの若い世代の人たちにはたとえとして適切ではないかもしれません。
高木 アフガニスタンの人の多くは「本当はタリバンを歓迎している」と、日本でも言われることがありますが、実際はどうなのでしょうか?
田中 都市部と農村部で相当受け止め方が違いますし、民族的な背景で言えば、どこの地方の話をしているかによっても変わってきます。それでも、「いまのタリバンが、この20年間のアフガニスタン政府よりマシ」と確証を持って言うアフガニスタン人は圧倒的に少数派だと思います。
外国の支援によって成り立ってはいましたが、医療の機会は確実に増えたし、子どもが学校に行ける機会も与えられた。前回のタリバン政権も実現したかったでしょうが、あまりにも行状が悪く、外国人の活動に対して制約を設けたことで、十分にできませんでした。
今回もタリバン政権が発足したとなれば、アフガニスタン政府の名前のついた銀行の外国における資産は、国連安保理の制裁に基づいてタリバンの資産として凍結の対象になります。つまり遅かれ早かれ、アフガニスタンにはお金がなくなることになる。国の民生レベルも劣化していくのは避けられないでしょうから、なおのこと「タリバンのほうがいい」と思えるとは考えられません。
普通の個人が作り出す、度を過ぎて残虐な組織
高木 タリバンも人としては普通の人だ、という言い方もされることがありますね。
田中 同じ人間を個人としてとらえた時と、組織の一員としてとらえた時の、ほとんど180度異なるような態度をどう捉えるのか、という問題でしょう。
タリバンも話せば普通の人だし、一人の人間に変わりはなく、彼らを悪の化身のように見立ててアメリカなどが軍事攻撃することはおかしいという、タリバンに同情的な言説がある。例えば、アフガニスタンでお亡くなりになった中村哲さんの言葉も、そのようなニュアンスで伝えられることがある。あながち間違った評価ではないのですが、それに囚われると私は危ないと感じるのです。