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 感想戦では、いつもどおり藤井の高速変化手順が炸裂していた。相手が指すとノータイムで手を返す。普通の相手ならとてもついていけないが、豊島も平然と駒を動かし相槌を打った。

立会人の塚田泰明九段が見守るなか、対局後の感想戦が行われた 写真提供:日本将棋連盟

初めて書くはずの「叡」の字もうまい

 感想戦終了後にすこしだけ新三冠と話をした。

「素晴らしい色合いの着物ですね」と水を向けると、「着物も羽織も初回ではありません。組み合わせていますが」。

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「対局室は寒くないの? 昼は20度設定にしていたみたいですが」と聞くと、「いえ着物だったですし、25度設定だと暑いですね」と言ってにっこり笑った。対局室を離れれば柔和な青年だ。色紙を見るが、初めて書くはずの叡王の「叡」の字もうまい。着物も一人で着られるし、なんでもできる。

記者会見で手にした色紙には、「叡王」の文字が ©釜谷洋史/文藝春秋

 帰宅してニュースを見ると、どこも史上最年少三冠の話題だった。最初の三冠達成者である升田幸三名人の顔写真が映ったとき、「金」の既視感の正体に気がついた。あれは升田将棋ではないか!

 升田も金を攻めに使うのがうまく、ひねり飛車に対して3三金から金が前線に上がって飛車を攻める「たこ金戦法」を編み出している。そして、升田の金で有名なのは「駅馬車定跡」だ。

「豊島八段ー藤井四段」の席上対局が行われた2017年の岡崎将棋まつりで筆者が書いてもらった色紙。あれから4年が経ち、四段は三冠になった ©勝又清和

これで19歳1ヶ月はありえない成績だ

 1948年、30歳の升田八段は朝日新聞の企画で、34歳の塚田正夫名人と「塚田名人・升田五番勝負」を戦った。その第4局で升田は相掛かりからタイミングよく仕掛け、金を中央に進出させ攻め潰した。その見事な手順に加藤治郎名誉九段が映画「駅馬車」の名シーンから「駅馬車定跡」と名付けた。2局とも相掛かりの中住まい玉で、指されたのは9月だ。藤井の金のダイナミックな動きは、令和の「駅馬車定跡」だったのだ。

 升田が大山康晴名人から名人を奪取して、王将・九段とあわせ当時のタイトルを独占したのは1957年、升田が39歳のときだった。あれから64年、その升田よりも20歳も若い三冠が誕生した。