この日も記者は福岡拘置所の面会室でその男を待っていた。足をひきずりながら歩く彼は、いつも丁寧に頭を下げてから部屋に入ってくる。面会を複数回重ねたことで雰囲気も和んできて、記者が差し入れた小説について、「面白かった」などと自分から雑談を始めることもあった。

福岡拘置所 ©文藝春秋

「小説はのめり込むと時間が経つのも早くて。恋愛モノとかは苦手で、ドロドロした感じの話が好きなんです」

 十数分程度の限られた時間の面会の後、話題が事件の核心に迫り記者が遠慮なく質問しすぎて不機嫌になった日でも、彼は必ず頭を下げて部屋から出ていった。

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 この男、田中涼二被告(42)は今年2月に3人の子供を死に至らしめた。田中涼二被告拘置所インタビュー#1では養子の大翔くん(ひろと・当時9)を暴行の末に死亡させるまでについて、田中涼二被告拘置所インタビュー#2ではその10日後に蓮翔ちゃん(れんと・当時3)と姫奈ちゃん(ひな・当時2)の首を絞めて窒息死させ逮捕された経緯について、取材班の10回以上にわたる面会で明かしている。

蓮翔ちゃんと姫奈ちゃんを殺害した鹿児島の観光ホテル (宿泊者提供)

 面会では、大翔くんに「パパになって」と言われて元妻A子さんとの結婚を決意したことや、蓮翔ちゃんと姫奈ちゃんとの“最期の旅行”で馬を観たり船に乗ったりした思い出を、楽しそうに、そしてときに涙ぐみながら話す場面もあった。

父親は仕事か酒。目が合うと殴られた

 子供たちへの強い愛情を持ちながら、残酷な仕打ちをした田中被告。彼はどのような生い立ちだったのだろうか。田中被告に両親について尋ねると、無表情でこう語り始めた。

「父はコーヒー会社で働いていて、母は美容師でした。2人とも仕事で、面倒を見てもらった思い出はほとんどありません。父はほとんど仕事、帰ってきたら酒。たまの休日は朝から飲んでいて、目があうと殴ってきましたよ。すぐに手が出てしまう人でした。今となってはいろんな迷惑をかけたと謝りたいですが、典型的な昭和の親父というか……。母も自分の美容室を持っていて、仕事ばかりでした」

 田中被告は福岡県筑紫野市の小中学校に通った。小学校時代は少年野球チームに所属して活躍し、硬式野球のチームから誘われるほどの腕前だったという。しかし中学に進学すると、生活が荒れ始めた。

「タバコを吸ったり喧嘩したり、誰も寄り付かないような中学生でした。中2のときには、先生を金属バットで叩いたこともあります。先生が自分に必要以上に厳しくしてきたので、その仕返しで。中3の先輩7人も加わってくれたんですよ。上からは好かれていたのかな……。先生は半年復帰できないくらいの怪我を負い、報道される騒ぎになりました」

 そして19歳頃に世間を震撼させた“太宰府の女帝”と出会った。