「ライターを顔に当て、爪をカッターナイフで剥いだ」
「山本は車のシガーライターを男性の顔に当てていた。自分も(山本に)言われて、男性の手にあててしまった。山本はカッターナイフで爪を剥いでもいた。被害者は叫んでいました。見ているだけで辛かった。ヤクザでもやらないとんでもない発想ですよ。それをあの人は楽しんでいた。女じゃない。
自分も、本当に馬鹿なことをしてしまいました。いいように使われてしまったんです。山本とは二度と関わりたくないので、今同じ場所(福岡拘置所)にいますが、手紙を書く気にもなれません」
田中被告と山本被告には、この件で傷害、恐喝、逮捕監禁の罪で有罪判決が下ったという。
「当時、自分はまだ未成年でしたし、随分前の出来事です。でも太宰府の事件を知って、やっぱりね、と思いました。ホスト漬けにするのも変わっていない。相手が男性か女性かの違いで、山本はカモを見つけるとマインドコントロールみたいなことをするんです。当時もそうでしたよ。元交際相手から脅し取った金で、逆にモノを買ってやったりとかして、飼いならすんです。
カモを使って別のカモを探すのも、当時から何も変わっていない。20年前だって、元交際相手とその友人を脅迫していたわけですから」
そんな“共犯関係”のなか、田中被告は山本被告と結婚する。しかし、結婚生活は非常に短かった。
「結婚期間は2年ないくらいですかね。山本のお父さんから『結婚する気はあるんだろう』とか言われてしまい、そのまま結婚し、山本の実家で暮らしていました。でも山本がある日突然出て行って、そのまま帰らなくなったんです」
しかし2人の間には生まれたばかりの男の子がいた。彼は5月29日に公開した太宰府ホスト漬け裁判#2に登場するBさんだ。
「山本が出て行ってからは、自分が子供の面倒を見ていました。でもしばらくしてお父さんから『お前はお前の生活をしろ。子供の心配はしなくていい』と言われたので、実家を出ていった。子供と離れるのは辛かったです。それ以来、この子とは会っていません。でも1歳の誕生日を一緒に祝ったことを今でも覚えています。名前をつけたのも自分なんですよ。自分が好きな言葉なんです」
離婚後、山本被告や息子とは二度と連絡をとることはなかった。そして同時期、田中被告の実の両親が2人揃って自殺したのだという。
両親が自殺。義親に誘われヤクザの道へ
「母は自分で商売をしていましたが、金遣いが荒かった。で、誰かの保証人になったんです。それで首がまわらなくなって、2人で外出先の車の中で練炭自殺しました。よく覚えていませんが、遺書には『相手のご両親によろしく、安心だ』などと書いてあったと思います。だから、時期は山本との結婚前後ですかね」
両親とは死別し、元妻と子供とも連絡を取らなくなった。肉親と呼べる存在との別離が重なったが、山本被告の父親とはその後も交流が続いた。
「お父さんはヤクザの幹部だったんです。誘われて断りきれず、自分も同じ組に入りました。自分の人生で、これが後に最も後悔した瞬間でした」
(田中涼二被告拘置所インタビュー#5に続く)
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