女子高生の頃は、周辺の有名男子校の男の子と友だちの紹介で会ったり、通学途中や文化祭で交流を持ったりするのが楽しかったくらい。
友だちは、慶應ボーイが好きな子が多かったけど、私はお坊ちゃまなイメージの慶應ボーイよりも、断然、駒場東大派に名乗りを挙げていた。当時から無頼でちょっと不良っぽい人が好きだったのだ。テレビや映画で観ていたスターも、当時は、ジュリーこと沢田研二派とショーケンこと萩原健一派に人気が二分されていたけれど、私は断然、ヤンチャで男っぽいショーケン派。
ショーケンはすごく男っぽくて、ちょっと面倒臭いくらい人間味があって、チャーミングでかっこよかった。
高校を辞めて芸能界に入ってからも、恋なんて遠い存在だった。当時の芸能界は今よりもずっと閉鎖的で厳しかったし、さらにはメールやSNSなどのツールもないから、現場で気になる人ができても想いを伝え合う術すべもなかったから。
吉田拓郎との出会い
吉田拓郎さんに出会ったのは、19歳の時。仕事は相変わらず忙しく、刺激的な毎日を楽しんでもいたけれど、一方では言い知れぬ寂しさもあった。同じ年頃の友だちが楽しんでいることや味わっているものが、私には1つも得られないと感じていた。
放課後の帰り道にカフェや洋服店に寄ることだったり、憧れの男子校の生徒とデートすることだったり。そんな淡くかけがえのない青春を送れないことへの不満があった。
そんな風にプライベートでは息苦しさを感じていて、もうすぐ、自分の中で何かしらの限界が訪れるかもしれないという頃に、吉田拓郎さんのラジオ番組にゲストで呼ばれたのだ。それ以前に、彼には私の楽曲を書いてもらったこともあった。それを聴きながら、「良い曲だな」と素直に思った。ラジオ番組は吉田さんの進行で和やかに楽しく進んだ。
「吉田さんのおかげで楽しかったな」
第一印象は、その程度だった。しかし、後日、彼は友人の南沙織ちゃんを通じて、私の電話番号を入手。突然、電話をかけてきた。
芸能界の壁を正面から突破してきた
受けたのは、うちの母だ。吉田さんは、「吉田です」と堂々と名乗るものだから、母は他の吉田さんだと思ったらしい。もっと年配の、娘が仕事でお世話になっている“吉田先生”なのだと勘違いしていた。その時、三軒先にある友だちの家で遊んでいた私は、母に呼びもどされて、家に帰り、彼の電話に出た。
「浅田さん、もうすぐ誕生日では。みんなで祝おう」
それは、誕生日の前夜のこと。
みんな? 指定された場所に行くと、みんなはいなくて、彼ひとりだった。
それが全ての始まりだった。閉塞感のある芸能界、厳しいマネージャーと両親の目をかい潜るのではなく、吉田さんは正面からその壁を突破してきてくれたのだ。
恋に未熟で単純だった私は、それだけで胸がときめいていた。「何て男らしい人なんだろう!」と恋心に火がついてしまった。