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映画館でつまらない新作映画を見るのも、贅沢だが

 このように言うと「趣味で映画を見るのに得とか損とか、合理性とか効率とか、そんなせせこましいことを考えたくない」という声が聞こえてきそうです。もちろん「映画館でつまらない新作映画を見るという贅沢」があることも知っています(私自身の実感です)。

 私がここで言っているのは、あくまでも「そういう方針の立て方もありうる」という話です。

 何事につけ、行動指針や規範に対する意識をもつことは重要です。しかし、だからといって指針や規範に外れる行為をすべて排除するべきではありません(人生には無駄や回り道も当然必要です)。

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 限られた時間のなかで優先的に古典的名作を見るという原則を立てつつも、気になった作品があればそれがマイナーな映画だろうと新作映画だろうとレビューの評価が散々なものであろうと、自由に見ればいいのです。

 原則があるから例外もある。例外しかなければ、それはたんなる無秩序でしかありません。自分で建てた方針を大事にしながらも、場合によっては自らの判断でそれを曲げて臨機応変に行動するゆとりと勇気をもつこと。これが成熟した大人の態度だと思います。

「古典的名作を見るのはお得な経験だ」という私の主張は、こうした含みを前提にしています。

©iStock.com

 人生の一時期に古典的名作をまとめて見ておくことには大きな意義があります。コロナ禍の現在は、そうした期間を設ける絶好のチャンスだと思います。

 古典的名作を見る理由が「コスパがよいから」では、説得力を感じないという方もおられると思います。たとえきっかけがコスパであっても、過去の名作を数多く見ているうちに蓄積されていく教養は、自分にとっての何よりの財産になっていきます。

 教養が即時的でわかりやすい利益をもたらすこともときにはありますが、それはあくまでかりそめの効用にすぎません。映画鑑賞を通して磨かれた感性や想像力、蓄積された知識は、人間としての幅や可能性を広げてくれます。

 先ほどの説明とは矛盾するようですが、その意味では「コスパなんてどうでもいいけどとにかく映画を見るんだ」という境地まで達してはじめて本物と言えるかもしれません。

 言うまでもなく、映画館の暗闇に身を浸して映画の世界に没入する時間はなにものにも代えがたい至福のひとときです。映画の醍醐味は、やはり映画館の巨大なスクリーンと適切な音響設計なくしては語れないものでしょう。

 名作と呼ばれる映画を自宅でじっくり鑑賞することは、来るべき「至福のひととき」に向けた準備でもあります。映画に限らず、およそ文化と呼ばれるものが発展していくためには、過去の遺産と現在進行形の挑戦との対話が必要です。古典的名作の鑑賞を通して目の肥えた観客が増えることは、長い目で見たときに映画文化の発展にとってもプラスに働くと信じています。

 次のページに名作映画のリストを載せておきますので、鑑賞作品を選ぶ際の参考にしていただければ幸いです。

仕事と人生に効く教養としての映画

伊藤 弘了

PHP研究所

2021年7月28日 発売