映画研究者で批評家の伊藤弘了さんは、古典映画を鑑賞することは「コスパが良い」と語る。その真意とは? 『仕事と人生に効く教養としての映画』(PHP研究所)から一部抜粋・編集して紹介する。
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私は「現代ほど映画を見るのに適した時代はない」と考えています。
いきなりこんなことを言っても「コロナ禍で映画業界が苦境に立たされているのに何を寝ぼけたことを」と思われるかもしれません。確かに、新型コロナの影響で映画の製作スケジュールは遅れがちになり、映画館は感染症対策に力を入れるも集客に苦戦しています。
しかし、観客の側に立ってみると必ずしも悪いことばかりではないように思います。
配信サービスでは、「古典的名作」を見よ
私たちは、有史以来もっとも映画作品にアクセスしやすい環境に生きています。ソフトの販売やレンタル、配信サービスが充実している現在、映画は映画館でなくとも手軽に見ることができます。しかも、映画館で見るよりもはるかに安上がりです(著作権の保護期間の切れた作品のなかには無料で見られるものもたくさんあります)。
このような環境は、これまで映画を見る習慣をお持ちでなかった方にとっては、生涯にわたって楽しむことのできる趣味を手に入れる大きなチャンスだと思っています。
もちろん、映画館に行かないと新作映画にアクセスしづらくなるという現実はあります。とはいえ、考えようによってはそれすらも利点として捉えることができるかもしれません。
つまり、これが私からの提案なのですが、新作映画が見られないのであれば、代わりに古典的名作とされる映画を集中的に見る機会を設けてみてはいかがでしょうか。
では、なぜ古典なのか?
村上春樹のベストセラー小説『ノルウェイの森』に永沢という古典文学の愛読者が登場します(※1)。彼は「時の洗礼を受けていないものを読んで貴重な時間を無駄に費やしたくない」という理由で「死後三十年を経ていない作家の本」は原則として手にとらないようにしています 。
文学に比べて歴史の浅い映画の場合、「作者の死後三十年」は「公開から三十年」と読み換えるのが妥当なところでしょうか。もちろん、これはあまりに極端なポリシーです。しかしながら、「時の洗礼」という観点はなかなかどうして核心を突いています。
※1……村上春樹『ノルウェイの森(上)』、講談社文庫、2004年、66頁。