田尻智「ポケットモンスター」の世界
全作に共通するのはポケットモンスターという架空の生きもの(以下「ポケモン」と呼ぶ)が野原や、林や、川や、海や、いろいろなところで野生の状態で出現すること。
ねずみポケモンの「ピカチュウ」は右総代というべき存在だが、ほかにも椰子の木に材を採った「ナッシー」やら、岩石に腕がはえた「イシツブテ」やら、小さな妖精の「ピッピ」やら......。
もしも『古今和歌集』の編者が見たら、きっと、
─生きとし生けるもの、いづれかポケモンにならざりける。
と反語をもちいたに違いないと思わせるほどの数の多さ。種類の多さ。プレイヤー(主人公)はそれらを捕まえて、育てて、強くして、いっしょに遊んだり、べつのプレイヤーのそれと戦わせたりすることができる。
あるいは交換することもできる。これが基本的なルールである。非日常の冒険というより日常の延長、放課後や夏休みの時間の魅力。ところでこのいとなみは、あらためて考えると、ほかの何かに似ていないだろうか。
くりかえすが野生、捕獲、飼育、強化、戦闘、交換......そう、昆虫採集だ。田尻がおさないころ豊かな自然のなかでザリガニやらクワガタやらに親しんだ、あの経験の電子版。
田尻自身、右に挙げた本でこうも述べている。
......でも、『ポケモン』をつくる可能性が出てくるのは、その辺に気がついたときで すよね。「俺、ゲームを始める前に夢中になったことがあったよな」って。
町田で育った田尻少年
そうしてこのさい、田尻少年の育ったのが町田という開発のおくれた、東京でも神奈川でもどっちでもいい、歴史上の人物のまったく出なかった無個性の街であることは千金に値する。皮肉ではない。もしも町田が、たとえば奈良や京都のような風光明媚な古都だったなら? 浅草や銀座のような大にぎわいの商業地だったなら?
伊勢のような日本一の門前町だったり、鹿児島や山口のような明治維新の震源地だったり、横浜や神戸のようなハイカラな港町だったりしたならどうだったか。それらの街の過剰な個性は、過剰さの故に、微妙にポケモン個々のデザインに影響をあたえたかもしれない。あるいは「ポケットモンスター」というゲームの世界観そのものに作用したかもしれない。そんなふうに思うのだ。