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幸福に必要なのは、「何でもない小さな偶然」

 逆にいうと、「なんか、今日は気分が悪いな」「今日は何となく不幸だな」と思う日も、近所の犬に吠えられたとか、喫茶店のウェイトレスの愛想が悪かったとか、たんに細かな偶然が重なって作られている気分も多い。深刻に人生を悩んでいる人でも、宝くじが当たったら一挙に問題を忘れちゃうでしょう。

 古今東西の哲学で、意外にこの「小さな偶然」という要素を考慮にいれた幸福論ってないなと思ったんですよね。

――幸福に必要なのは、「何でもない小さな偶然」という視点は新鮮でした。あるいは人生相談のエッセイでは、チビ、ハゲ、孤独といった悩みに対して、すごいおかしく答えていますよね。ある種、悩むこと自体がバカバカしくなるような風通しのよい言葉で。

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土屋 僕の人生相談は、相談者を叱りつけたり、ここが間違ってるとかこう考えろとは一切言いません。今悩んでいるなら、「なぜそんなことを悩まなきゃいけないんですか?」と投げかける。「実は何も悩むことはない」ことに本人に気が付いてもらうのがいい。

©iStock.com

悩みそのものへの疑問は、哲学の問題の解き方と似ている

――悩みそのものに対する疑問を投げかけて、問いや問題の意味を問うのはとても哲学的なアプローチですよね。先生が長年ハイデガーやウィトゲンシュタイン研究に取り組んで、哲学的問いそのものへの懐疑を持ってきた知的スタンスとも重なります。

土屋 そうかもしれないですね。今はとくにコロナ禍で多くの人がいろいろな問題で悩んでいますが、なぜ悩まなくてはならないのかをよくよく考えてみるとよいかもしれません。問題や困難があれば、対応策を考えて実行するしかない。対応策がなければあきらめるしかない。悩むだけよけいです。

 悩んでも仕方がないのに、なぜ悩むのか。何を期待して悩むのか。そこに哲学的興味があります。

 だいたい本人が思い悩んでオレは不幸だなとか、情けないなと思うことって、じつは客観的に見たらけっこう可笑しいことです。僕は転んで痛い思いをしたり、赤っ恥をかいたり、妻から無茶苦茶なことを言われたりしたら、「連載1回分得したな」って思うようにしています。そうしているうちにそういう出来事が起こると笑えるようになります。どこが可笑しいのか分かりませんが(笑)。

 そんなユーモアが読者のなかに生まれたら、不要不急のこの本にも意味があるかもしれません。たぶん意味はないでしょうが(笑)。

土屋賢二(つちや・けんじ)

1944年岡山県生まれ。神戸市在住。東京大学文学部哲学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学。お茶の水女子大学名誉教授。専攻はギリシア哲学、分析哲学。哲学研究の傍ら『ツチヤの貧格』『妻と罰』など、ユーモアとアイロニーあふれるエッセイが話題を呼ぶ。1997年新年号より続く、「週刊文春」の長寿連載「ツチヤの口車」は国民的に親しまれている。最新刊は『不要不急の男』。

妻から哲学 ツチヤのオールタイム・ベスト

土屋 賢二

文藝春秋

2021年9月27日 発売