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連載昭和事件史

2021/09/26

 それをさらに補強したのが朝日に載った1枚の写真。「大森署で『人違いだ』とふんぞりかえる日大運転手(右)と同行の日大教授長女」という説明が付いていた。2人ともイスに座ってカメラの方を見つめている。

人々に事件の記憶を刻み込んだ朝日掲載の写真(「日録20世紀」より)

 服装は、朝日の記事で「男はコール天の薄茶の上着、薄茶のズボン、チョコレート色短靴、薄茶のワイシャツにノータイという真新しい茶色ずくめにミルキーハットという服装。女は薄茶のツーピースに黄色のセーター、黒の中ヒールにノーストッキング」。

 ミルキーハットとは「メッカ事件」でも登場した布製の軽い中折れ帽。肖像画のようにも見え、強盗傷害犯とその女という後ろめたさ、暗さは全くない。あっけらかんとした感じ。戦前には見られなかった新しいカップル像だったといえる。

オー・ミステーク」は記者の創作?

 ところが、実は「オー・ミステーク」という言葉は朝日、読売の記事には登場しない。朝日は、大森署の捜査主任らが同行を求めに行くと、日大運転手は「ああ、そうですか。それではちょっと着替えますから……」と落ち着き払って応対したと書いている。読売は逃走中のいきさつは詳しいが、連行時の言動の記述はない。その後の続報にも「オー・ミステーク」は見えない。そのため、後になって「記者の創作だともいわれる」と書いた文章もあった(乾孝編「現代の心理1 青年の心理」)。だが――。

 事件直後に出た「週刊朝日」1950年10月15日号の「事件の山を追って」という特集記事は、「裏話を(朝日の)担当記者に語ってもらった」として「オー・ミステーク」事件も取り上げている。それによると、逮捕当日の午後4時ごろ、記者が大森署の刑事部屋へ行くと、刑事たちが「これから190万円の強盗犯を捕まえに行く」と言う。

 同じ車で向かい、捜査主任と刑事2人と一緒に間借りしている部屋に乗り込むと、男が立ち上がって「何ですか」と聞いた。主任が「ちょっと署まで来てください」と言うと「そうですか。いま洋服を着ますから待ってください」と答えた。記事でのそれからの記者同士のやりとり。

A 「オー・ミステーク」なんて言ったんだろう。

B それは後だよ。2人が服装を整えるのを待って、非常に紳士的に連行したんだ。例えば、普通は男と女は引き離すんだけど、一緒に自動車に乗せてね。その車の中で「オー・ミステーク」だとか「この家を借りたのが失敗だった」とか言ったよ。男は全部英語でね。女は「ミー」とか「ユー」とかいう英語を交ぜて話してたナ。

 この通りだと「オー・ミステーク」と言ったのは事実だが、「部屋を借りたことでアシがついたのが失敗だった」という意味のように取れる。ほかに、大森署に連行されて取り調べを受けた際の発言だとする資料もあり、詳しい点ははっきりしない。

 ただ、刑事たちに踏み込まれて、大げさに手を広げて叫ぶのとはイメージがだいぶ違うことは確かだ。朝日に掲載された写真についても語っている。

A 大森署の2人の写真はよかったナ。

B あれはまだ自供しない時でね。向こうもごまかしてたけど、こっちもうまく撮ろうと思って、ドアを開けてすぐパッとやれるように苦心してたよ。ドアから2間(約3.6メートル)ばかり向こうに男がいてね。それをパッと撮ったら「ミー・エキストラ」と言ったんだ。
 

A あの英語は愛嬌もんだナ。

B だけども、運転手も教授の長女も落ち着いてた。ちっとも動揺してるふうがないんだ。

◆◆◆

 生々しいほどの強烈な事件、それを競い合って報道する新聞・雑誌、狂乱していく社会……。大正から昭和に入るころ、犯罪は現代と比べてひとつひとつが強烈な存在感を放っていました。

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小池 新

文藝春秋

2021年6月18日 発売

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