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「二世でも貸していただけますか」

 犯行後の足どりについては読売が詳しい。

 まんまと190万円を奪い取った日大運転手は自動車を大手町交差点で乗り捨て、東京駅に向かって歩いたが、どうも危ない気がするので、東京駅前で通りかかったハイヤーで品川駅に行き、ここで国電に乗り換えて有楽町駅まで戻った。同夜日大教授長女と会う約束があったので、それまでの時間つぶしに日比谷映画へ入り、暗くなってから外へ出て、有楽町から銀座まで歩いて出て、その途中、店で洋服や下着類を買い求めた。
 

 彼女との約束で銀座7丁目交番そばの喫茶店に行き、そこで落ち合った。会うとすぐ自動車を拾い、2人で国電目黒駅のそばの旅館「紅葉」に一泊。翌朝読売新聞を見て「二人一緒にいては危ない。彼女に家を探させて別々に住んだ方がいい」と考えた。「もう逃げられない。一緒に死のう」とも思ったが、彼女の顔を見て「ここまできては仕方がない」と成り行きに任せる決心をし、彼女に家探しを頼み、23日昼すぎ、有楽町に出た。有楽座で4時まで映画を見て表に出たが、危機感がつきまとい、京橋方面へ裏通りを歩いた。

 一方、日大教授長女は別れてから芝新橋の不動産屋に立ち寄って間借りを依頼。そこの社員と連れ立って昼ごろ、大森駅前の住宅あっせん会社に現れ、その足で、同社に貸間を依頼していた品川区大井庚塚町の会社員宅を訪れた。

「二世でも貸していただけますか」と持ち掛けて同家の6畳応接間(洋間)を借りることで契約。夕方7時ごろまで休憩した後「主人が大阪から帰るから迎えに行く」と言って外出し、午後8時ごろ、銀座のキャバレーで運転手と会った。9時ごろ、2人は部屋に行き、この夜は布団を借りて寝た。

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2人が間借りしていた部屋(「画報現代史 戦後の世界と日本第9集」より)

 翌24日は大家を交えて昼からビールで酒盛りを始めたが、左腕に入れ墨があるのを大家の妻が発見。注意して見ると、2人の持ち物は全部いま買ったと思われる新品ばかりで、どうも様子がおかしいと妻が実家に通報。妻の母がやってきて、男の右目の下にほくろを焼いて消そうとしたあざがあり、会話の間に英語を交えることに気づいた。怪しいと思い、帰宅後、大森署に電話で届け出たという。

「二世だ。運転手の男ではない」と言っていたが、英語がろくにしゃべれず…

 逮捕時の模様は毎日を見なければならない。

 両人は犯行の日の翌日、23日お昼ごろ、大田区新井宿の家屋周旋業者を通じて、品川区庚塚町の会社員方に「武田」と称して下宿し、身をひそませていたもので、大森署員が立ち回った時には、6畳間のダブルベッドに2人はしどけない姿で寝そべっていたが、刑事から同行を求められるや、日大運転手は女に向かい「オー、ミステーク、ミステーク」と叫んでいた。はじめ「二世だ。運転手の男ではない」と言っていたが、英語がろくにしゃべれず、ばれると泣き出す始末。また、懐中に千円札で約20万円を持ち、残金はボストンバッグに詰めていることなどで犯人に間違いなしと見て2人を丸の内署に移送。取り調べの結果、包みきれず、運転手がまず自白したものである。

 ここに一世を風靡したセリフが登場した。鷹橋信夫「昭和世相流行語辞典」は「それは、悪いことをしたという罪の意識のない、アプレの本性を示すとっさの言葉だった」とした。いかにも刹那的で無軌道で反道徳的な「アプレ」のイメージを決定づける語句だったといえる。