逮捕の報道から2日後の9月27日付朝日朝刊4面に「放浪記」や「浮雲」で知られる作家・林芙美子の評論記事が掲載された。その見出しは「オゝ(オ)・ミステイク」。

 夕刊朝日は26日付(25日発行)で、教授長女について「しっかりしたしつけをしていなかった親に責任があると思う」とした評論家・坂西志保と、運転手について「アブノーマルな面があり、教養が足りなかったことが犯行の原因」とした推理作家・木々高太郎の談話を並べて掲載した。

 林芙美子の評論はどちらの指摘も「一理ある」としたうえ、運転手らの行動を歌舞伎・浄瑠璃に登場する「お染久松」=恋愛の果てに心中した豪商の娘と丁稚(でっち)=と比較。「非常にハイカラな、物質に目がくらんでいたということだろうかと思う」と分析した。

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「捕まる時に叫んだという『オオ・ミステイク』という言葉は、現代の社会を風刺しているようで、全く喜劇的な、落下していく人間の不気味な声であるように思った」と述べ、こう締めくくった。

「2人に貧しさに耐える真実の愛情があったら、いまごろは、2人はどこかで職を見つけて、平和な同棲をしていたであろうに」

「オー・ミステーク」を世に知らしめた林芙美子の評論記事(朝日)

 評論の中身はともかく、「オー・ミステーク」が世の中に広まるのは、おそらくこの評論記事からだ。

 小沢信男「犯罪紳士録」は「要は未熟な2人の逃避行にすぎないが、その浅はかすぎるところが魅力だった。権力と富の象徴のアメリカの模倣をこそ新しい価値観とする、天下の時流のカリカチュア」とした。榊原昭二「昭和語」によれば、実際にも、何か仕事に失敗した時や、約束の時間に遅れた時、「すみません」という代わりに「オー・ミステーク」と使われたという。

 メッカ殺人の時にも触れたが、敗戦後の青少年の無軌道ぶりが話題になり、「戦前派の価値観と全く違った行動をする戦後の若者たち」を「アプレ・ゲール(戦後派)」、略して「アプレ」と呼び、彼らの犯罪を「アプレの犯罪」と呼んだ。このずさんでチャチな日大ギャング事件は、流行語を生み出 したことが決定的な要素となってその代表格の事件となり、日大運転手は「アプレのスター」とされた。

“父から逃げたかった 金が欲しかった”

 9月25日付朝日朝刊には「“別居が悪かった”」を見出しに、娘について語る日大教授の記事が載っている。

 娘がまさか男と逃げているとは思わなかった。娘は私が長崎県学務課長を8年余り務め、昨年9月、北海道へ教育顧問に転任する時、身の回りのことをしてもらうため一緒に連れて行った。同地では娘は働かず、家におり、楽しい父娘の生活だった。
 

 本年4月、日本大学の招きで着任したが、家が見つからず、同校内の一部屋を借りて二人暮らしだ。遊んでおれば悪い方向に走るから、ダンサーや女給以外ならどんな職業でもいいからと私も勧め、2カ月前、ピアス化粧品に勤めた。真面目に働いていたが、午後3時出勤で8時間勤務。帰ってきても夜遅く、私の身の回りのことはできないばかりか、私の勉強にも邪魔になるので、娘には今月中に別居するよう言い渡した。娘も親類、知人へ今後の就職を頼み、22日、姿を消す日まで悩んでいたということだ。
 

 こんなところに男との関係ができたとすれば、私の責任だ。娘が派手な髪毛や色爪、服装をしているのはマネキンの職業柄で、意地の強い明るい娘だと思っていたのは、いまにしてみれば親の欲目だった。なんともはや、娘の気持ちが分からない。