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 10月8日の「サンデー毎日」は、ほぼ同趣旨の彼女の告白を掲載。「父の束縛を逃れて 自由と青春を追求」の見出しを付けた。同記事によれば、母親は兵庫県の実家で別居生活。「心に秘めた母の面影については、父にも一言もしゃべらなかった。勝気な彼女の性格がそれを許さなかったのだが、父親はこれを『ハキハキした明るい子でした』と言い、彼女の心に潜むこの秘密には気がつかなかった。こうしていつか、父と娘の心は離れ離れとなっていった」。

「母の愛に飢ゆ」

 9月26日付夕刊毎日には桂広介・東京教育大教授(心理学)の「母の愛に飢ゆ」という談話が載っている。

 社会人としてスタートする大事な年齢に、母親から離れていたということが一番大きな原因で、母親との毎日の生活を通して得られる女性としてのニュアンス、あるいは生活上、教育上の教養とか知恵の育成が著しく阻害されていたようだ。だが、といって厳格な教育者という立場にある父親からその代わりの何かを得ようとするのは無理な話で、ここに父に対する反抗が起こったわけだ。ここで何でも頼れる母がいれば、仮に彼女の性格がどうであろうと大きな緩衝地帯になったのだが、父親が反対し続け、かえって父親から離れてしまったという孤独の寂しさを償う対象として、ひたむきな男性の愛情に走ったのだろう。逃走後の行動は年齢がさせる無謀というしかない。

「犯罪以前、恋愛以前ともいうべき」

 その後も新聞などのメディアには事件についての論評が登場した。

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 9月26日付朝日朝刊1面コラム「天声人語」は「線香花火のような犯罪遊戯であり、チリアクタのような人生の浪費である」「犯罪というにはあまりに幼稚であり、恋愛というにはあまりに軽薄であり、犯罪以前、恋愛以前ともいうべきだ」と切り捨てた。

 同日付の毎日朝刊も教授長女を取り上げ、女性社会評論家の言を借りて「はきちがえた自由 ただ生活の楽しさ追う 望ましい健康な男女交際」といった見出しだけで分かる評価を下した。

 同じく同日の読売朝刊社説は「父の反省」と題して「未熟な男女の関係を制御するのは、最も直接的には親の任務だ」として、戦後の子どもを自由放任にする傾向を見直す必要があると主張。

社説でも事件を取り上げた(読売)

 9月27日付毎日朝刊1面コラム「余録」は「日本人も戦時には全く奴隷民であったし、戦後その束縛から解放されると、自己の欲望を調節できない青少年が多いのである」と指摘。日本の現状は「退廃的、露出症的、無軌道的になっているのである」と断じた。

 これらが当時の良識ある大人の感想と評価の大勢だった。でも、事件は本当にそんなものだったのだろうか?