「週刊朝日」1951年1月21日号は「裁かれる“アプレ”」という2人の特集を掲載。その中で、強奪した金で買った物のリストを紹介している。服のほかには時計、カバン、化粧品など。2人は長い間欲しくてたまらなかったそれらを買って、一世一代のドレスアップをしたのだろう。その集大成があの写真だった。「アプレの代表格」というレッテルはマスコミが作り上げた虚像だった気がしてならない。
もちろん、彼らの行為は悪だが、戦後の混乱と貧困の中で、権力者である占領軍の意向に迎合して何とか生存と富を求める。それは日本人の多くが当時とっていた態度だ。彼らは運転手と教授長女にそうした自分たちのゆがんだ姿を見る思いがしていたのではなかったか。
「彼を待ちます」と言っていた教授長女は一度も面会に現れず…大きく分かれた人生
2人に対する初公判は1955年12月13日、東京地裁で開かれ、日大運転手は「共謀の事実はありません」と日大教授長女をかばった。裁判は大きな争いはなく、翌1956年2月23日、少年法を適用して、運転手に強盗傷害罪で懲役4年~7年の不定期刑、教授長女には同ほう助罪で懲役2年執行猶予3年の判決を言い渡した。
その後、運転手はサンフランシスコ講和条約による恩赦で減刑されたうえ、水戸少年刑務所では模範囚として通し、3年3カ月の服役で1954年6月7日、仮出所。同日付毎日夕刊によれば、「彼を待ちます」と言っていた教授長女は一度も面会に現れず、関係は自然消滅していた。
「週刊ポスト」1970年8月7日号の記事によれば、その後は運転手、英語の家庭教師などをした後、美容師となり、東京都内で美容院を経営していた。「オー・ミステーク」については「マスコミのでっち上げ」と反論している。
教授の長女は、父親が日大教授を辞任して天理大教授に転身したのに伴い、奈良県天理市に移住。母親の実家でもあった天理教教会で修行を積み、信仰の道へ。結婚して3児の母となった。2人の人生は大きく分かれたが、どちらにとっても、事件は一世一代の出来事だった。彼女と彼は後年、事件のことをどう考えていたのだろうか。
【参考文献】
▽鷹橋信夫「昭和世相流行語辞典」 旺文社 1986年
▽乾孝編「現代の心理1 青年の心理」 河出書房 1955年
▽小沢信男「犯罪紳士録」 筑摩書房 1980年
▽赤塚行雄編「青少年非行・犯罪史資料(1)」 刊々堂出版社 1982年
▽高橋鉄「フロイド眼鏡」 宝文館 1956年
▽久野収・鶴見俊輔「現代日本の思想」 岩波新書 1956年
▽市川孝一「戦後復興期若者文化の一断面―『アプレ犯罪』を中心にして―」(明治大学文学部紀要「文学研究第116号」所収) 2012年
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