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「『恋をするにもゲル』は大人の思想」

「堕落論」など社会評論でも活躍した坂口安吾は、このころ体調が悪化して静岡県伊東市で療養していたが、「新潮」1950年11月号の「わが人生観(6)」で「日大ギャング事件」と題してこの手記を中心に論じた。

坂口安吾

「戦後派という特別な人間がいるという考え方がマチガイで、大人がこういう軽率な区分に安んじているから、彼ら戦後派なるものが、世代によって人間の質が違うかのような誤りを前提として思考するようになったのであろう」と痛快に展開。日大運転手は「無邪気である」として、車には3人もの男がいて、ナイフ1本で現金を奪われたことの方が「フシギ」で「戦後派的ではないか」と言う。さらに手記の記述に触れてこう書く。

「戀をするにもゲル」というのは、彼らの事志とちがった思いもよらぬ到達點(点)であった。むしろ大人の世界はハッキリそうであるが、自分らは事の始めに於ては人生に夢をえがいて出發(発)している。しかし、いかにロマンチックであろうとしても時代に抗することは儚(はかな)い努力で、戀をするにもゲル、という大人の思想に負けてしまう、という意味に解する方が正しいようである。

 私もこの読み方の方が正しいと思う。占領終結を翌年に控えた1951年、「中央公論」10月号の特集「占領は日本に何を齎(もたら)したか」の「人心」で評論家の堀秀彦は、「これほど顕著な人心の変化の実例にぶつかったことがない」という身近に起きた話を書いている。

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 彼には3人の子どもがあり、長男の誕生日が近づくと、3人は誕生日会のプログラムを話し合ったり練習をやったりした。当日、飾りつけもされた部屋に入ろうとした父と母に子どもたちは入場料20円(現在の約140円)を請求した。それは子どもたちの新しい価値観だったのか、時代の変化がそうさせたのか――。

「捕まってから二世のマネをして、オオ、ミステイクと言ったというのは、バカらしいけれども…」

 敗戦後の日本人の多くの変わり身は早かった。敗戦直後に出版された「日米会話手帳」は約3カ月間に360万部を売り上げ、ラジオの「カムカム英語」という番組も大人気。赤塚行雄編「青少年非行・犯罪史資料(1)」は、「1950年から1955年へ向かう戦後の第二期は、『アメション・二世気取り文化』の時代」と定義する。

「アメション」とは「占領下の日本ではアメリカ帰りが幅を利かし、議員団から役人や婦人団体までが続々とアメリカを訪問。昭和25年には芸能人の渡米ラッシュが続いた。行ったかと思うともう帰っていて、何をしに行ったのか分からない。『アメリカでションベンをしてきただけ』と皮肉ったのが『アメション』だった」(「昭和世相流行語辞典」)。

 大女優、田中絹代がこの年1月、アメリカから帰国した際「ハロー」と第一声を発し、投げキッスを連発してひんしゅくを買った。

 日大運転手が二世を気取ったことにもさまざまな論評が出た。彼は犯行時に車を停車させる際「ヘイ、スタップ」と叫んだといわれた。「自分たちは二世だ。おまえたちの扱える相手ではない。こう言いたかったらしい」と村島健一「世につれ流行語の二十年」(「潮」1965年8月号所収)は書いている。

 これにも「日大ギャング事件」で坂口安吾は「捕まってから二世のマネをして、オオ、ミステイクと言ったというのは、バカらしいけれども、二世というフレコミで泊っていたあの際、あのようなことを言うのは、それほどバカげたことでもなかろう」と一蹴した。

 市川孝一「戦後復興期若者文化の一断面―『アプレ犯罪』を中心にして―」は、映画監督・恩地日出夫氏(1933年生まれ)の回想を紹介している。

「当時、僕は高校生で、新聞で事件の報道を見たときに、何かとてもうらやましいというか、あこがれというか、そんな感じを持った記憶があります。なぜこういう犯罪に対して、ある種のあこがれを感じたのかと、いまふりかえって考えてみますと、敗戦によって価値観が逆転した。何を信じていいのかわからない。価値のあるものというのは何なのかということを高校生なりに一生懸命考えている中で、いままでうそを言ってきた大人たちに対してとにかく反抗したいという気持ちは、ぼくの心の中に強くあったと思うのです」
 

「犯罪ということでニュースになっているのだけれども、少なくとも権威に反抗して自分自身の価値基準の中で生きている、という面で、あるあこがれの対象として、ぼくはとらえていたように思います」

 久野収・鶴見俊輔「現代日本の思想」は「日本の実存主義―戦後の世相」の章でこう書く。

「いかなる時代においても、犯罪はその時代の思想的典型である。だが、敗戦直後の日本の場合には、他の時代におけるよりもさらに、深く、犯罪がこの時代の典型となっている。一般の市民も、多かれ少なかれ犯罪的な生き方をしなくては、生きられない時代であった」

「日本の思想史上、最も偽善性の少なかった時代であった」

 考えてみれば、男の家は空襲で焼かれて没落。日大勤務といっても、父親に電車賃をせびるほど。女の方も、父は教授の肩書があって住む家はなく、母は遠く離れ、午後から深夜の勤めに追われていた。経済と家庭の両面で貧苦にあえいでいた。

 そんな2人が結びつき、女の家出と、恋のライバルの存在をきっかけに、男はどうしても金をつくらなければならない必要に迫られた。それには犯罪しかなかった。他の時代と比べ、犯罪は人々のごく身近にあった。「オー・ミステーク」は実際に発した言葉だったかもしれないが、2人の手記や告白文を見ても、ごく普通の若者たちであり、逮捕時の言動もただ無邪気だっただけではないのか。