日大生運転手の「獄中の手記」
1950年10月1日付夕刊読売は社会面トップで日大運転手の9月30日の日付の「獄中の手記」を抜粋して載せた。見出しは「戀(恋)愛するにも“ゲル” 独断と飛躍のアプレ」。「ゲル」とはドイツ語でお金のこと。手記の要旨をまとめてみる。
1.今度の犯行に関し、僕たちが特別にアプレ的だったとみられるのは不愉快
2.もちろん非常に常軌を逸した反社会的なことだったが、僕らも一通りの常識、理性、知性は持っていたと思う。少なくとも人間としての弱み、人間としての矛盾があったとはいえる
3.僕も同年配の男たちと同様ガールフレンドを持ち、リーベ(ドイツ語で恋人の意味)と呼べる仲になったこともある。しかし、大人びたことを考えても、しょせん体系づけられた行動はやはり子どもの域を脱し得なかった
4.いまの社会を見ると、若い世代が夢見る人生がいかに多くのギャップや矛盾に満ちているか。少し考えると厭世的になるのも無理はないと思う。あまりにも物質的であるというのか、いくらロマンチスト的に世を見ても所詮砂上の楼閣で、最後はリアリスティックになる。僕らは恋愛するのでも、はじめはゲーテの「若きウエルテルの悩み」を経て、詩的な心情からだんだんリアリティーに終始するようになる。極言すれば、ゲルがなければ恋愛もできないという矛盾に満ちたことになりそう。僕らの考えの根源を大人は理解していない。ごく単純にアプレだとか一口に片づける筋合いのものでないと思う
未熟ではあっても、いつの世にもある若者の言い分のように思える。手記は続く。
5.小説めくが、僕と彼女は宿命的な因縁というか、初めて会った時でも他人のような気がしなかった。しかし偶然、彼女と同じ部屋にいた時、父親が帰ってきた。いま考えれば、自分は冷静さを失っていて、父親の顔も見ず、外へ飛び出してしまった。後で、引き返して僕たちの仲を説明し、理解と協力を仰ごうと思ったが、その勇気が出なかった。予期した通り、彼女が父親からひどく叱られ、家にいるのは耐えられないと聞かされ、驚いて物を思索する力が一時に抜けたような気がした。その夜、彼女の口から、父親が自分を軽佻浮薄な男と見ていることを知った。それは若い男のプライドを傷つけるには十分な四十男の世の見方だった。それでも話して、2人の気持ちは変わらないという結果になった
6.2人は善後策を考えたが、もうその時、常軌を逸していたのだろう。そこで犯行のプランは大体決まった。いま家出をするといっても、たとえ2人で共稼ぎをしても生活の安定を保つ自信はなく、そうかといって事態は切迫していた
7.犯行後の気持ちは全くみじめなものだった。犯行時はエキサイトしていても、振り返って考えると、僕たちは目先の物だけに走り、未来の彼方を望まなかったということや、親兄弟のこと、世間の耳目、親友・知己などのこと、自分の罪に対する自責、それらが走馬灯のように頭を駆け巡り、彼女をこのようにさせたのは何か? どうして? と考えだしたらきりがなかった
8.逃走後、ゆっくり休んで寝たことはなく、食欲も出ず、二度とあんな気持ちにはなりたくない。行動は僕たちが選んだ運命としても、彼女の父親らに対する申し訳なさは格別。僕は1日でも早く一人前の人間として立ち直り、罪を償いたいと思っている
記事のリードで記者は「アプレ特有の独断と飛躍で自己弁護したり、片言の外国語を交えながら相も変わらず知性、理性、懐疑、歴史など、思わせぶりな言葉を操り、似て非なるインテリぶりを発揮するなど、一読まさに噴飯に堪えない代物。“ざんげ”とか“告白”といったものには程遠い幼稚な作文だが、この男は、いや戦争という大きな歴史と教養の空白を持つアプレ・ゲールは一体全体いま何を考え、世の中をどう見ているのかを知るには一つの資料になるだろう」と書いた。
若者たちの新しい価値観を把握できないいらだちと戸惑いを表しつつ、言外に「中学中退の与太者が」という蔑視の視線がうかがえる。しかし、これとはいささか違う受け止め方もあった。