今回の事件は、このシリーズの「メッカ殺人」と同様「アプレ犯罪」とされた。当初は「日大ギャング事件」と呼ばれたが、いつの間にか「オー・ミステーク事件」の方が通るようになった。犯罪自体はずさんで見え見えだが、いまも年配者の記憶に強く残るのは、まさに「アプレ」と思わせる“無軌道で破廉恥な”19歳の「犯人」と18歳の「愛人」のツーショット写真、そして、逮捕時に放ったとされて流行語となった「オー・ミステーク」の一言だろう。当時の大人にとって「いまどきの若い者は」と慨嘆させる格好の話題とされた。
時は1950年。占領も5年を越して飽きがきている一方、3カ月前には朝鮮戦争が勃発。その特需で悲惨のどん底にあった経済状況に明かりが見え始めていた。しかし、それもこれもアメリカのおかげ。自分たちの運命はアメリカの動向次第という現実を味わわされていた。この事件は、そんな日本人の姿を凹面鏡に映し出した、ゆがんだ画像のようなものだったのかもしれない。
「オウ」「ミステイク」などと表記した新聞や資料もあるが、見出し以外は「オー・ミステーク」で統一する。容疑者2人は未成年だったが、少年法は2年前の1948年に制定されたばかりで、未成年の匿名報道は制度化されておらず、全メディアが実名報道した。ここでは本来の趣旨に沿って匿名とする(写真は掲載)。今回も差別語・不快語が登場する。
運転手をジャックナイフで脅し、金の入っていたボストンバッグを強奪
当時、新聞は用紙不足で粗悪な仙花紙を使った独立夕刊を発行。朝日と毎日は戦前以来続いていた翌日の日付を使っていた。事件の第一報はその夕刊に載った。1950年9月23日付(22日発行)の朝日は社会面3段だった。
百九十万円奪わる 白昼大手町で 日大の職員給料
22日午後2時ごろ、日本大学・八木下会計係員が富士銀行神田支店から、職員の給料190万円を提げてダットサンで千代田区大手町・労働省前まで来ると、途中から乗り込んだ同じ日大生の山脇某が急に停車を命じ、八木下と佐藤運転手をジャックナイフで脅し、金の入っていたボストンバッグを強奪。2人を車から突き出して、自動車を運転して逃走した。同ダットサンは車体が青色で警視庁で緊急手配中。
第一報だから容疑者の名前や肩書など、不正確な点が多いが、富士銀行は現みずほ銀行。ダットサンはかつての日産自動車のブランド。190万円は現在の約1585万円に相当する。
この時期、この年6月に始まった朝鮮戦争は当初半島南端に追い詰められた国連軍(実質アメリカ軍)が「仁川逆上陸」から攻勢に反転。国内では警察予備隊(自衛隊の前身)が発足し、共産党に対する弾圧と共産主義者とされる人たちを公職から排除する「レッドパージ」が始まっていた。
逆に公職を追われていた政治家らが次々追放を解除され、連合国軍総司令部の方針変更をきっかけに「逆コース」(保守反動化)の兆しが見え始め、戦後の変わり目のような不安定さが社会を覆っていた。