米1粒、 汁1滴の気持ちになってみる
日本人は何民族かと聞かれたら、たいていの人は「農耕民族」と答えるだろうね。でも、普段、それを忘れている人がいっぱいおるんよ。たとえば、コンビニなんかで弁当買うでしょ? それでこう蓋を取るわね。でも蓋に付いちょるご飯粒はまず食べる人いないんだわ。
ちょっと前のことだけど、息子の家族と一緒にお弁当を食べたの。そん時、孫が弁当箱の蓋を取って容器の底に敷いたんよ。それを見て、ワシは孫に「ちょっと待て。今、何した?」って言ったら、「ん? じいちゃん、どうしたの?」って首を傾げとる。だから「蓋にはな、まだご飯粒が付いとるじゃろう。『米』ちゅう字、書いてごらん」ちゅうた。
「米」という字、それをばらしたら、八十八って書くよね。何でかちゅうと、1粒の米を作るのに、88回、農家の人が手をかけて、初めてその1粒ができるからなんよ。
「な。お前、作った農家の人に感謝の気持ちも必要だし、米粒たちも可哀そうよ。88回、手をかけられてな、最後に釡で炊かれて、弁当に詰めて蓋をされてな、お前の手元に来た。それで蓋に付いちょるからって食べずに捨てたら、その米粒たちがどれだけ悲しむか」
ワシ、「うるさいジジイ」って嫌われても仕方ないと思って言ったんだけど、孫は「じいちゃん、ごめん。今からちゃんと食べます」って言うてくれてね、嬉しかったんだわ。
ワシはね、レトルトの味噌汁でも飲んだら、最後、容器のヘリにくっついた乾燥ワカメやネギ、底に残った数滴の汁も水を足して飲み干すんよ。
周りの人にどう思われようと構わない。だってこの中の味噌や具たちは、生まれてから袋に詰め込まれて、商品にされてからというもの、蓋を開けてお湯を入れて飲んでくれる人をずーっと待っていたんよ。
乾燥ワカメの気持ちになってみてよ。「あ、今、お湯が入った! 気持ちがいい。あ、膨らんだ。私たちついに食べてもらえる……あれ⁉ カップのヘリにペタペタッとくっついちゃった! 他の仲間の具たちは、おやっさんの胃袋に行ったのに、私とネギのあんたは、二人とも排水口に流されちゃう。悲しいね」って。
ご飯や味噌汁の気持ちを考えたら、ワシ、米1粒、汁1滴、残せないんだわ。